相対的な言葉

完璧主義者って言葉は分かりやすいかな。

ある人 A が別の人 B を差して完璧主義者だって言ったとして、B は完璧主義者なのかって言うと、そうじゃないわけですよ。そういう性質の言葉なんですよね完璧主義者って言葉は。

次にある人 A が完璧主義者について論じたとします。そしたら A のイメージする完璧主義者像が生み出された。それは別の人 B のイメージするものと必ずしも一致しない。そういう言葉でもあります。

またある人 A が完璧主義者という言葉を使って、ある分野 a における完璧主義者は別の分野 b でこんな動きをするって言い始めたとして、決して分野 a における完璧主義者の性質に言及せず、完璧主義者ではない分野 b での性質のみを語ったとしたら、それを別の人 B が聞いて完璧主義者という記号について分かり合えることもあるかもしれません。

凄くどうでもいいな。単純に揶揄したいとか劣等感に起因してるとか色々あるんでしょうけども。マジで作業指示が細かいってのもあるんだろうけど、埃が 1 つ落ちてましたよ的な。それはそれで嫁いびり系の問題なんではないかって気がするけど。

たとえば 11 + 22 = 34 じゃないかって言って、それについて 11 + 22 = 33 だろって指摘があって、それを 1 ぐらい間違っててもいいだろ!この完璧主義者が!って言うこともあるわけだ。これがそれぞれの感性ってやつでしょ。あー、お前の頭の中では 33 と 34 ってニアリーイコールだったんだな、ってその時になって気づかされるわけだ、ちょっと想定外だったわって。でも別の人の脳内では 11 + 22 = 33 は自明のことだったりするわけですよ。考えるまでもないほどに当たり前の事実として染みついてたりする。そういう格差があるんだよな。

まああれだわ、なるべく寛容に慈しみを持って接するように心がけるべきですね。劣等感ってのは俺は良く分からないけど厄介らしいよ。自分より優れた人がいたら「俺より優れてるな!」って認めれば良いだけなのに、どうにもそれができない人がいるらしい。

人間にも恐らく動物と同じで負けず嫌いって性質がありますが、これは他者と自分の間の関係性を重視してるんですよね。群れて暮らす多少なりとも社会性のある動物としての本能なのでしょうか。その性質に囚われたままで自由になれない、自由にならない、自由になりたくない人達もいるってことなんだよなあ。負けず嫌いは凄いんだよ!負けるのが泣くぐらい嫌いだから勝つためにすっごい努力できるんだ!みたいな漫画っぽいセリフは数多あるでしょうし。悪い面ばかりじゃないんだろうけどさ。他者と自分を比較するのは本当にくだらないのにな。それだけ他者に価値を見い出してるんでしょうけども。それは素晴らしいことか。俺は他者にそこまで価値を見い出さないから。比較する意味ないよね、としか思えないですが。昔は人類は他者との比較に明け暮れていたんでしょう。それは群れの中で生きていく上で重要だったから。今でも必要ではあるんですよ生きていく上で。でもだいぶ楽になってるんだよ現代日本は。これだけ法治が機能していて生活保護だってあるんだし。別にそこまで他者に対して比較優位に立たなくても生きて行けるのにな。必要性はなくなったとしても強い本能に従うか。それも人間ではありますが。だから劣等感ってのは厄介なんでしょう。彼等は比較劣位に立ったら自分は死ぬぐらいの本能に動かされているって考えた方が良いわけで、場合によってはそれは殺意にも発展しかねないものと考えて応対するのが妥当ですよ。気を付けよう。