遅くなったけど

京都アニメーション事件は本当にひどい事件だよなあ。俺もアカウント名的に反応しないとな…。まあ日本国民として反応あっていいと思うけど。俺にとって AIR は KEY のものであって京都アニメーションのものではないからなあ。当然だけどさ。ここで俺が哀悼だとかなんだとか言っても何の慰めにもならないんだろうなあって思う。募金するってって言ってもそこまで京都アニメーションに思い入れがあるわけでもない。割と好きなアニメ会社だけど。会社としての実態は知らんけど過去に作った作品で好きなのがあるからなあ。東日本大震災では募金したけどさ。本当に大規模な天災だから。でもこの事件でそこまで募金する気持ちになるかって言うと、微妙じゃないですか。そんな財力ないし。京都アニメーションだけ特別視するわけにもって気持ちにもなる。特別視するんであれば俺にそこまでの愛があればって思うけど、そこまでの愛もない。であれば募金はやめておくかって感じでしたね。募金は再建だとか治療費にはなると思うけどさ。生き返らせることはできないしね。確かに規模の大きな事件であることは間違いないんですよ。でも建築物とかの消失とか金額的な話になるともっと大きな事故や事件ってのはあると思う。だけどそういったものには募金って話は聞かない。死者 35 人って規模はでかいんだけど、もっと大量の人が死んでる事件ってのはあるし。日本ではそんなにないけど。やっぱりそんな風に考えていくと善意とか助け合いよりか愛なんだろうって思うよ。こういったことに関する募金って。俺は東日本大震災で募金したときは愛というよりか善意とか助け合いと思って募金した。正直、まったく関わりがない地方だからさ…。だけど三陸産の水産物とか食べてたし、そういった意味じゃ関係があったのかな。

絵とか歌とか曲とか

そういう人間の原始的な五感に訴える一芸を持ってる人はフォロワーが増えやすいなあって思った。誰にでも伝わるからな。昔からそうなんだけどな。テレビの頃からずっとそうだ。SNS でも同じだと思っただけ。

一週間前の国民の義務の記事

あれってのは思料してたわけです。誰かに言ってるわけじゃないんですね。その大前提があるんだけど、仮にその前提がないとしましょう。このブログを読むことは義務じゃないので誰かが勝手に読むんだけど、だけど読む人のために気を使わなきゃいけないなどと、そういったことまで思慮が必要だというようなことを考えてみましょう。まあ大前提があったとしても公開ブログだから多少の気遣いや法令順守などはあるとは思うんだけど、それ以上のものを読者が求めているとして、こちらもその期待にこたえなければならない、などと考えてみるってことですね。

あの記事ってのは国民の義務とはいったいなんなんだろうかって考えてるわけです。国家とはなんなんだろうかってところから入ってさ。義務が無い状態とはなんなんだろうって考えたり。そもそも国が無かったら義務もないわけだけどってところから考えてますよね。そうなんですね。考えてるんですよ俺が、あれこれね。俺の思考過程みたいなのが書いてあるわけです。まず思考過程で誰かに気遣うってことがありえるかっていうと、ふつうに考えて無いですよね。ありえないですよね。そこは分かると思うんだけど。思考過程で気を遣うってどういうことだよって感じだと思う。

でまああの記事には結論らしきものが書いてあるけど、あれは結論じゃないですよね。なんというかいい加減なところでぶった切って終ってるだけじゃないですか。俺の個人的な時間の都合とか面倒だからとか色々あって、あそこで終ってるんですよ。そういう状況ですね。たとえばこれが有料記事だったり広告収入とか取ってて、読者を大事にしてるとか俺に金銭収入あるとか、そういうのが色々あった場合、俺はもっと気遣った記事を書くと思います。俺にそんな読者がつくわけないので、そんなことはあり得ないんだけど。でも別に俺は金とかもらってないし、まったくそういう必要はない状況ですよね。

そんな感じで色々な意味で俺は気を遣った記事を書く必要がないんだけど、もうちょっと考えますよ。たとえば国民の義務というのを言われると、あの記事を見ても全く上から目線で書いてなくて、俺があれこれ淡々と事実を演繹的に述べているだけで、目線とか全く関係ないんだけど、それでもなおそういった自分にとって不快な事実を述べられるだけで不快みたいな「上から目線だ!」みたいな反応をする人というのは世の中にはいるかもしれない。それはそうかもしれない。だけども、それに対して気を遣うのは流石に異常とは思う。目の前にいるわけじゃないし。誰も読んでないし。はてなブログになってアクセスとか見れるようになったけど、本当に読まれてないからね。報酬も貰ってないし。

そういった風には思うんだけれども、それでもなお、下から目線でものをいうことはできるじゃないか、みたいな話はあると思う。それはやろうと思えばできるんですよ。「国民の皆さんは本当に本当に頑張っているのに、税金を取りたてやがって全く国はけしからんのお!税金はゼロにすべき!勉強だってしたくないんだからやらなくていいじゃないか!まったくみなさんは勉強がんばってくださってご苦労様です!本当に素晴らしい!納税してる人達って本当にえらいよ尊敬する。納税してる人達がいるからこそ国ってのは何とか維持できてるんだもんな」みたいなこと書いたりしてさ。書けます書けます余裕で書けますよ?でも俺はそういうことは書きません。なぜって、そこで前回に書いた礼儀の記事が出てくるんですがね。俺はおだてれば人が良い気分になることぐらい知ってますよ?でも俺はそういうことは嫌いなんです。そうやって良いように人を操ろうとする行為が好きじゃないんですね。だからそういう書き方はしない。なんつーか、上手い例えが出てきませんが、そういうのって世の中にあふれてるけど、俺は敢えてそういう言い方はしないで、敢えて正面から反発心を煽る言い方をしている。それは別に反発させたいわけじゃないね。正面から話しかけてるからだ。裏口から上手いこと誘導するような話しかけ方はしていない。ちゃんと本人が考えて判断できるように正面から入ってる。分かりますか?反発はあるんですよ。正面から行くと。でもそれこそが人を人として尊重してるってことじゃないかなあって俺は個人的には思うところがあってですね。ちゃんと相手の脳に対して正面から意見を言ってるんだからな。相手の思考回路の正規のルートで、相手が必要な判断をすべて自分の意志で行って、その上で判断できるようにしている。そうなると他人から言われるということに対して、人間が反発心を覚えてるのは当然であって、そこは多少はやむをえないと思ってるよ。そういうものだからな。ただ俺は人間を自制できる生き物として尊重して見ているから、そこは相手が受け止める器があると信じてるわけ。そういう相手を信じる態度を持つってことは要は尊重しているってことじゃないか?と思ったりするわけだ。まあもちろん俺の意見でしかない。裏口から誘導するような言い方をしてる方がよっぽど人間を小馬鹿にしていると思わないかね?気を遣ってくれてるって思いますか?まあ個人個人で受け止め方は違うんだと思いますが。

まあただこれは記事を書いてる時のスタンスであって、特定の相手に話しかける時はもちろん違う。場合によっては誘導するような話し方もする。なぜって特定の相手は本当に心が弱かったり未熟だったりするからだよ。そこは人間に理想を求めずに俺は現実を見て相手によって話し方は変える。できないことをできるだろって言ってもいじめにしかならないからな。

…これは飽くまで俺の個人的な意見ってことをもう一度だけ念押しします。世の中の人の考えの標準とかじゃないです。当然だけど。あなた自身の考えでもあなたの周囲の人考えでもないです。俺の考えです。それと俺と読者の関係について主に書いた記事です。要は赤の他人同士の話です。なんらかの理由で親しいもの同士のことについて書いた記事じゃありません。そこは間違えないでほしいです。記事を読んで人間関係が壊れましたとか言われても困るからね。