無能な働き者は余計なことするから最悪で無能な怠け者の方がマシだみたいな話あるじゃないですか。あれって初出とか原典は何なんですか。色々なパターンを見た気がするけど、俺がもっとも腑に落ちたのは軍隊の中で自分の頭で考える人間は困るって話。何故かって軍隊って組織は人を使い捨てにするわけで、下手に頭が回って正義感がある人間だとそんな命令に従えるか部下を見殺しにできない!って命令に従ってくれない。だから粛々と命令通りに部下を使い捨てにできる人間のが良いって話が軍隊には当てはまるんですよ。たとえば 10 人の死で 1000 人を救う作戦があって、その 10 人の死を容認できないって正義感の強い指揮官が拒んだら、結果として 1000 人が死んでしまうでしょう。だから命令通りに部下を死地に出せる人間のが良いわけですよ軍隊では。そうやって全体最適を左官とか将官ってのは考えるらしいんだわ。俺が思うにその話が原典なんじゃないかなあって凄い雑に理解してるんですけど。それがどういう訳か、色々な伝言ゲームを経て、無能で真面目な奴は余計なことをしでかすから最悪だ、みたいな話にまでコンパクト性とインパクト性を重視したような話になってしまってるというか、なんだろうな。無能な味方は敵よりも悪いってのは確かに場合によっては言えるんだけどさ。まあどうでも良いんですけど。原典が何なのか気になるよ。
SNS で通知オンを強要する詐欺アカウントとかあるけど
通知ってうざいよなあって思って通知ハラスメントで検索したらメンションハラスメントって単語が出て来た。そりゃあるよなあ。そういうやつって有害だよなあ。俺は通知は基本的に入れてないんですよ。SMS やメールはおろか電話すら鳴らなくしてるので、SNS アプリの通知なんて鳴らすはずもなく。昔は電話は持ち歩かなかったし。話しかけられるのも嫌い。だからテレワークは嬉しい。俺が気持ちよく仕事してる時に話しかけるんじゃねえよって感じだよな。俺は俺が見たいタイミングで確認するから。30 分に 1 回ぐらいとか。あー疲れたーって少し息抜きするかって思ったタイミングで確認したりしてる。それと SNS アプリに通知設定してるやつで、通知がうざいからリプをするなって言う奴も好きじゃないな。お前が通知設定をオフにしろよって思いますね。
現段階の水素のイメージ
やっぱり水素については懐疑的だなあ。水素自動車の燃費は電気自動車よりも良いのかも知れないけど。だから何なんだって感じがしてしまうというか。インフラが問題だよなあ。今は化石燃料系のインフラがあるから、それを水素インフラに置き換えていくだけだよって発想は自然にも見えますが、俺には保守的な発想に見える。要らないんじゃないかって。電気一本にして効率化しちゃった方が良い気がするんだよなあ。電気と化石燃料の二本立てで保険を掛けてるんだって言うけどさ、これからスマートグリッドにしていくんでしょ。各家庭で高効率の電池を持って、各家庭でペロブスカイト以上の高効率の太陽光発電機を使って、小型風力発電機も使って、ってやって行くんじゃないですか。そういった社会になれば保険は各家庭に既にあるじゃないですか。化石燃料がなくても。能登地震だってガソリンスタンドのガソリンを使って暖を取ってるって話は聞いたことがないし。ガソリンなんて危なくて暖を取るのに使えないじゃないですか。そんな風に考えていくと水素インフラなんて整備するもんじゃないなあって気しかしないんだよ。それでも日本の財政に余裕があればやればいいって気もするけど余裕なんて全くないじゃないですか。水素インフラどころか水道管の更新すらまともにできない国ですよ。なので水素ガス管とかやめとけよって感じしかない。やるとしたらタンクローリーみたいな車で液化水素を運んで一部の水素スタンドで特定用途に使うぐらいじゃない。トラックによる長距離輸送とか重機とかヘリや飛行機燃料とか船舶の燃料とか。空飛ぶ自動車はどうだろうな微妙だな。一般自動車は電気で十分な気がするんだけど。電池もこれからどんどん効率化して行くだろうし。インフラとか社会全体のイニシャルコストやランニングコストなどの総コストを考えると、俺の考えは穴だらけで非常に雑ですけど、電気に一本化して行く方が良いようなイメージしかないなあ。どうしても水素社会にしたいのであれば各家庭で気軽に水素を作れるようにすべきな気がしますよ、でもきっと無理でしょ。高効率な水素変換するには高価な機械が必要なんでしょ。サイエンス ZERO の多元素合金を見たけどさ。いくつも希少金属を使って高効率を実現してるわけじゃないですか。あれは各家庭に装備するのは無理そうだよな。既存ガソリンスタンドはそのままガソリンスタンドで良いんじゃない。利用者はどんどん減っていくだろうけど。灯油は必要だろうし。これから地球温暖化して行くけどさ。それでも寒い冬には灯油は確かに有用だから。ガソリンより灯油のが高くなったりしてな。
なるべく自分の考えは言わない方が良い黙ってるのが最良、みたいな考え方の人もいますが
賛同できなかったなあ。ふーん、そうなのか君はそんな風に考えているんだなって、そんな尺度で俺のことを測っているのか気持ち悪いなあ、俺を同類として見ないでくれないか、一緒にしないでくれないかって気持ちになったな。俺はそんな生き方したくないな。黙っている方が良い場面も確かにありますけど。その人の言い分が、自分を隠すことで得することもあるから情報は出さない方が良いんだ、その方が保身できて場や相手を上手く操れる、そういうところに主眼を置いて黙っていた方が良い、そういう感じだったというか。俺そんなこと考えて生きてないからさ。割と不器用な人間なので正面突破すること多い気がするよ。策を考える頭があるのと、策を弄する悪徳さは別物だよ。策を考える頭ってのは策を防ぐために使うんだ。悪人同士であれば策も必要になるのかもだけど。お前ってそんな世界で生きてるのかって感じた。俺と同じような業界の人間じゃなかったのって。まあ確かに少しの違いが実は大きな違いだったりすることもあるけどさ。割と正面突破で何とかなったってのは、言い換えれば正面突破でなんとかできてしまっていたってことなのかもしれない。それだけの運や実力、あるいは陰ながら支えてくれた人々の助力が俺にはあったのかもしれないよ。分からんけど。
それに黙ってるデメリットってのも当然ある。黙ってると勝手にレッテル貼るやつとかいるから。喋ることでそういうのを防げるかもしれないし。喋ったら喋ったで発言の切り抜きとか揚げ足取りとか、人々の悪意ってのは枚挙にいとまがないのかもしれないけどさ。
嫌われ者の哲学
もし昨日の記事を読んで何か新しいことを言ってると感じた人は分かってないんじゃないか。俺は 1,000 万人はいるって書いたよな。日本の伝統文化って言っても良いと思っているよ。
たとえば日本には茶の湯ってのがある。俺も良く知らないけど、あれは一挙手一投足にまで事細かに指定された動きをしますよね。あれは昨日の記事で言ってることに近いんだわ。動きを完全に指定することによって人間味を排除していながら、その動きは相手を不快にさせないことに慎重に注意を払っている。また口をつける箇所を逆にしろだとか、茶碗を持つときの手の触れ方とか細部に渡って指定しつつ、同じ茶碗で飲むじゃないですか。それは同じ釜の飯を食うのに近い。礼儀ってものに近いというか礼儀そのものである気がするし、お互いの距離を縮めるためのものでもあるでしょう。またわびさびを重視していて煌びやかな装飾をせず質素な四畳半を使っており、それは互いの階級を排して話し合うことにもつながったはずだ。
つまり茶の湯は、好き嫌いじゃなくルールに則って話し合いましょうって場を作っていて、それはお互いに相手がルールを理解している、つまり話が分かる相手であることを前提として会う約束をするところから既に始まっていて、正に敵か味方か分からない戦国時代の会談のルールでもあったわけですよ恐らく。
戦国時代の大名ってのはお互いに自己主張が強かったでしょう大名だし。そして譲れないものもあったはずだ。自分がやりたいことは沢山あったでしょうし、背負っていて無碍にできないこともあったでしょう。だから大名同士の会談では互いに対立することが多々あったはず。そして殺し合いが日々あるような世の中だ。そんな中で茶の湯に従って会談するわけで、それは現代の日本企業がプライバシーマークを取得している企業に業務委託するような感じでもあり、会談するための切符でもあったでしょう。
それと古代中国の五常ってのがあります、仁義とか礼とか言われてるやつ。仁ってのは簡単に言えば博愛とか利他とか礼儀らしいです。日本は江戸時代に朱子学を統治に活用してたらしい。
なので昨日の記事で言っていた、個人主義(自分がしたいことをする)、博愛(仁)、道徳(朱子学)、法律(江戸幕府)のすべてが江戸時代にはあったし、寺子屋も大量にあって庶民の識字率も高かった。識字率が高ければ江戸時代の法律や道徳なども自然と頭に入ってたはずですよ。だから幕末の日本は急速に近代化できたんでしょ。ってことで俺は何も真新しいことは言ってない。凡庸な現代日本人像を自分ベースで描写したに過ぎない。
ただああやって開けっ広げに言う人がいないってだけだよ。だって言っても得しないからな。すっきりするだけで。好き嫌いとかどうでもいいですって言っても人間関係が面白くなることはないだろうし。むしろつまらないでしょ。それと以前に書いたようにわざわざ攻撃される理由を言わなくてもいいじゃないですか。今は健康で元気でも老後が心配だとかさ。
ここまで読めば理解が進むと思いますが、昨日の記事で書いた内容は開けっぴろげに書いてるだけで洗練されていないんだよ。あの記事の内容を洗練すると朱子学だとか五常だとか茶の湯だとかになるわけ。俺が思うに茶の湯は洗練されているよ。ほとんど知らないけど。人同士が仲良く話すためのツールとして当時としてはハイレベルに洗練されていたと言って良いんじゃないか。
人同士が仲良くなるために「仲良くしましょう」「仲良く話しましょう」「腹を割って話しましょう」「笑いましょう」ってのは下の下だよ。状況によっては有効だけど。目的が開けっ広げ過ぎるんだわ。仲良くするためのルールってのもだめ。たとえば分かりやすいのはポッキーゲームとかですか。あんなのダメです。見え透いているし。そうじゃなくて茶の湯はわびさびを前面に出して、ルールが分かっているもの同士で茶を飲みましょうやって、そうして話しましょうやって言ってるわけじゃないですか。そうやって厳密に指定されたルールがあり、そのルールってのが相手を不快にさせないルールでできていて、そうやって作られたルールを互いに押し付けられて受け入れて従って話すわけだ。そこに「互いに仲良くなりましょう」なんて目的はない。良く知らないで書いてるので、あったら完全に間違いだけどさ。たぶんないだろうって仮定して話を進めるけど。もし目的に「互いに仲良くなりましょう」なんてのがあって「ここで笑顔を作ってください」とかルールにあったら「ふざけんな!そんなものに従ってられるか!」ってなるじゃないですか。でもそういうことは一切ふれず、相手を不快にしないルールと話しましょうって目的しか茶の湯にはないわけだ。そしてルールが互いが良く知る大御所の第三者から押し付けられたものであることも大切で。大御所に押し付けられたってのが良いんですよ、押し付けられたことは自分の意思じゃないから。それは表面的に受け入れているように見えるけど、でも内心は分からないってスタンスを取れる。そのあたりが隅々まで計算されつくしてると俺は感じるから洗練されていると言っている。少し前に書いたようにわびさびもさりげなく階級間の垣根を取り除くし。
昨日の記事よりも宗教や道徳のが洗練されているのも疑いようがない。昨日の記事は分かりやすいように開けっぴろげに書いてるだけで、言ってることは良く知る宗教や道徳の小話と大して変わらないはずだ。物凄く分かりやすい例を挙げると、科学技術が進展していない世界では、互いに助け合いましょうって言うより神様がそう言ってるからって言い方のが説得しやすい。
そして好き嫌いで動く世の中よりルールで動く世の中のが嫌われ者には助かる。
それと俺が理解している性欲ってのはプラトニックラブも含むよ。そりゃもちろん性欲だろ。だって対象を異性に限定してるんでしょ。肉体関係はなくても可愛い顔が好きなんでしょ。そりゃ完全に性欲ですわ。