肥大する言葉と変わらぬ気持ち

言葉ってのは手段なんだよなあ。俺の認識では。言葉より大事なのは気持ちだ。個人の感想ですが。だけど言葉を目的とする人達も世の中にはいるんだよな。演技力のある気持ちの籠っていない言葉は人を騙す。だけど騙されたいって人間もいる。俺は騙されたくないけどな。需要があるんだろうなあ。でも社会ってのは沢山の嘘で回ってる訳だ。利己的な人間がアイツは自分のことしか考えていないクズだって思われないように必死に取り繕って生きている。自分のことを考えるのは当然だし悪いことじゃないさ。ただ自分のために平気で他人を犠牲にする奴ってのは近くにいると困る。だから排除したがる。だから取り繕う。別に良いんですよ。そういう人間にも生きる権利はある。社会に迷惑を掛けなければいいさ。寧ろ彼等は苦痛を感じているでしょう。演技して生きているんだから。それを思えば悪いねって感じだ。そういう人間にとって気持ちより言葉が尊重される社会ってのは心地いいんだろうな。居心地がさ、良いんだろうな。言葉ってのは頭脳さえあれば流ちょうに紡ぎだせるもので、気持ちとか関係ないんだよ。どんなに中身がクズでも美麗な言葉を発することができるわけでさ。他人を高揚させて楽しくさせて面白おかしく笑わせて、傷つけず、優しい言葉で逃げ道を与えてあなたは間違っていないと言うんだ。それでいいんでしょうね。人を良い気分にさせてるんだから。悪いことじゃないんだろう。ただ俺はそういうのには価値を感じないけど。優しい人はどんなに口が回らなくても優しいはずで。でも確かに社会はそれ以上のことを求めている。生産性を高めよと言っている。より付加価値の高いハイテクを、より頭脳を用いる生産をしろと言っている。そして楽しませろって言ってる。それは悪いことじゃなくて良いことだと思うんですよ。生産性は上がった方が良いし楽しい方が良いんだ。だけどそういった社会の要求ってのは巡り巡って色々なところに波及して、何か言葉やコミュニケーション法を改善することで、人間の根本的なところまで変容するのではないかと誤解させるような雰囲気もある。確かにコミュニケーションは大事で言葉も選んだ方が良い。朴訥な人間より流暢に話す人間のがビジネスマン向けなのは間違いないんだよ。逆に話が上手い奴は信じられない説もあるけどな。言葉やコミュニケーションなんてクソだぜ!――みたいな社会になったら大変だしさ。それこそ脳筋社会になってしまうし。だから言葉やコミュニケーションは大事なのさ。でももっと大事なものがあって、それが気持ちだって俺は思っている。でも気持ちがない人間が可哀そうなので気持ちのない人間に死ねみたいなことも思わない、寧ろ大変ですねって思っているぐらいだってのは、さっきも書いた。だからさ。何が言いたいかって言うとさ。作家ってのは言葉を操るエキスパートですよね。この世界に存在しない人間を生み出して、存在しない気持ちを捏造する。その捏造された気持ちは嘘くさいことこの上ありませんが、それでも設定的に本物だって作者が言うのであれば、この上ない程に本物の気持ちなんだろう。作者が本物と決められる気持ちなんだから現実に存在する移ろいやすい人間の気持ちよりも混じりけがなく本物なんだろう。それはまた悪意にも言えて。だから作中の悪意を持った人間が演技と言葉で人を騙すというのも混じりけのない悪でね。それはそれは酷い話で。純真で良い生活を送って来た人間は自分以外も善良なんだろうって性善説に立っていて、好意を抱いている相手からの完璧な演技で語られる巧みな言葉が自分の罪を洗い流すのを感じて、立ち直って相手により深い気持ちを持つ。今までの表層的な美しいとか、麗しいとか、そういったものだけでなく、尊敬したり、一目を置く存在としたりする。っていう描写が作中にあったとして、それは言葉のエキスパートである作家の力の使い方として正しいんじゃないかって思ったわけです。世の中には恋人との出会いやデートやイベントを楽しく盛り上げるための演出、演技、言葉などが良く描かれていますが、言葉ってのは本来は人と人がコミュニケーションするための手段であって、大事なのは気持ちだと思っていて。気持ちの伴わない言葉は人を騙す。それを作中で語るのは大事だなと思いました。もちろん何回も言ってるように気持ちの伴わない言葉は社会に有り触れていて、それで社会は回っているんだってのもあるので、それが不要だとは言いません。建前って大事ですよね。しかし今の SNS が隆盛な時代というのは正に言葉が与える面白さと楽しさが今までになく最高に価値を高めている時代だと思っています。テレビの時代ってのもあったけど、その頃はまだドラマとかアニメを通じて物語から得られる気持ちを揺さぶる面にそこそこ重きが置かれていたんではないかと思っていて。でも SNS ってそういうのないじゃないですか。本当に言葉だけでやり取りしてるっていうか。動画とかもありますけど、面白いとか笑えるってところが重視される。別に悪いわけではないんですが、最近の若い世代はそういったことに対してネイティブな世代なので、強い影響を受けているんじゃないかって思ったりしなくもない。価値観の変容が起きているのではないかって。まあアニメとかも見てるだろうし、そんなことないかなあ。でもあれですよ。女性が男に流暢な喋りを求めるのは優秀な子孫を望むからってのもあるらしい嘘か真か知りませんが。結局のところ人間の生存本能ってのは種の保存よりも自身の子孫の保存を優先しているのかもしれないですね。種ってのは結局のところ常に周囲の存在が同じ種とは限らないわけで。ある日を境にというか、ある個体が生まれて、その個体に突然変異が起きているとしたら、それが同じ種とは限らないわけじゃないですか。つまり個体は種の保存よりも自身の子孫の生存を願っているんでしょう。なので女性も自身の子孫さえ生き残れればいいと本能が言うのかもしれません。だとすれば気持ちより言葉のが大事なんでしょうね。気持ちより優秀さなんでしょうな。もちろん個人差はあると思います、当たり前なので一々そんなことを言いませんが一度は言及しておきますよ。でもさ、頭脳の優秀さってのは社会が十分に機能してなきゃ活かせないんですけどね。いくら優秀でも産んだ赤ん坊を焼いて食べるような蛮族社会では頭の良さは活かせません。バランスが大事ですよ。俺は優しくて明るい女性と結婚したいなって思いますけど、今の俺がそんなことを望んでも意味がないよなって思ったりするので、まあそこはいいですよ。