信用と信頼の違いについて書いてる記事を見るたびに癇に障る

んですけど。俺も前にも書いた気がするけど。何十年ぐらい前から言われてることなんですかね、これは。単語の意味は生きてる人々が作り出すって言いますけど。新しい単語を生み出すだけでなく既存の単語に新たな意味を与える感じで。

俺が思うに重要なのは語源ですよ。この 2 つの単語の語源は分かってないんですかね。もし日本で古くから存在した単語でないのであれば、恐らく語源は西洋ですよ。trust とか credit とか色々と単語がありますよね。

それと信用って言葉は金融業界とかで使われてます。西洋文明ってのはユダヤ人を中心に金融が非常に発達したので、金融業界の専門用語としての「信用」って単語に専門的な意味を与え育む土壌があったと言えます。その credit に対して日本人の誰が「信用」って言葉をあてがったのか分かりませんが。日本は脱亜入欧の流れだったか分かりませんが西洋文明を取り込む際に西洋文明の単語を日本の単語に訳しました。その際に新しい単語も多く生み出したって話です。有名なのは経済って単語でしたか。だからその際に信用って単語も生み出した可能性が十分にあると俺は思ってます。

でも世間では有名な辞書には好い加減なことが書いてあるとか言ってますよね。あれはしょうがないんじゃないですか。語源が西洋文明とか辞書的に書けないんじゃないですか。だからダミー情報みたいなことを書いてるんだと俺は思いますけど。

ググって大量に出て来るアフィリエイト系サイトに書かれてる、信じて用いると信じて頼るの違いだとか、過去の実績と将来的な期待の違いだとか、そういうのを読んでますと、そういうことにどうしてもしたいのかって読んでて思わされます。単に金儲けしてるだけっぽいですけど。

信用も信頼も西洋文明が語源だと俺は思ってますけど。江戸時代以前に信用とか信頼って単語があったとは思いにくいですし。

そう考えると信用ってのは分かりやすいですよ。金融業界で使ってる言葉ですから。金融業界で言う信用ってのは、信用が大きければ大きいほどに沢山のお金を貸せるって意味ですよ。単純に考えると。これは社会的な指標です。信用度って言葉があるぐらいですし。それに信用調査会社みたいなのもあります。完全に社会の仕組みとして取り込まれているんですよ信用ってのは。中国では個人の信用についてデジタルインフラで徹底的に点数化しようって考えてるらしいですよ。信用が高ければ支払いは署名だけして後払いにできたり、顔パスでつけで支払いできたり、色々と決済が簡易化されて取引が活発になってセキュリティコストが減らせる。信用が大きいってのはそういう感じです。人を人として見ないというか、なんというか、利率をどれぐらいにすべき対象であるとか、セキュリティコストをどれぐらいまで下げられる対象であるとか、そういうのが信用ってもんじゃないですかね。

対して信頼はちょっと難しい気がします。trust って英単語をベースに調べると印欧語源では確固とした、みたいな意味があるらしい。そこからスカンジナビア、英語って流れで派生して、信用、信頼って言葉になってるとか。そう考えると信用も信頼も同じなんじゃないかって思ったりしますが、信用って単語は金融機関で使われているために明確であって、信頼はもっと語源に近い意味だと考えた方が良いんじゃないかと俺は思いますけど。確固とした堅固なって感じで。これは信用って単語より人間味があるものだと思います。信用が社会的なステータスをベースとした単語であるとすれば、信頼はその人の本質的な部分を見ているというか。ただしその本質的な部分を見ているのは他人の主観なので、その他人の主観ベースってことになると思います。また主観ってのは思い込みという一面も含んでると考えます。つまり盲目的に信じるって意味合いも多少はあると思いますね。盲目的というか正確には確固たる堅固な存在を幻視するような感じかなあ。trust って単語に信託って意味合いも多少は含んでるみたいですし、やっぱり託すみたいな意味合いも強いんでしょうね。だから頼って漢字をあてたんじゃないかなって思いますけど。

といったところで、金融に関わらない人からしてみれば信じて用いる信じて頼るぐらいの違いしかないと思うんですよ。この和訳をした人もなるべく日本人が直感的に理解できるように訳したつもりだと思うんですけど限界があったんでしょうね。もしかしたら漢字の字源に精通していれば違いを鮮やかに感じ取れるのかもしれませんが。

でも大体は合ってると思いますけどね、信用は信じて用いるで。信頼は信じて頼るで。だって人としてではなく社会的なステータスとして信じるポイントが高いって見てるってことは、人としてより寧ろ道具として見ている面のが強いですから信じて用いるで合ってると思いますよ。人に対して信用するって言葉を使うってことは、そこそこの距離感を持って接してますって意味じゃないですか。別に失礼ではない。それに対して信頼の場合は私はあなたを人として確固たる信じられる対象であると思っています(主観的に半ば盲目的に)ので、全面的にあなたに委託しちゃいますよって感じですよ。なので信じて頼るで合ってるんですよ。そう考えると軽妙な和訳と思います。

とはいえ語源が西洋と決まったわけじゃないですけど。それに言葉なんて誰がどれぐらい理解しているのかわからないですからね。そんな深く考えなくていいと思うんですけど日常会話的には。信用じゃなくて信頼って単語を使われて気持ち悪かったですとか、気持ちはわかるけど、そんないやらしい意味合いを込めて言ってるのか分かりませんし。それと人がその単語を発した時には、その単語そのものもありますけど、その人がその場面でその単語を発した際に生み出される意味というのもありますし、その人の思惑が込められているわけで、単語を額面通りに理解するってことは基本的にないんじゃないかなと思うんですよ。たとえば信頼って単語を発したとして、それが信頼しているから信頼って単語を発したとは限らないわけですよ。冗談で言ったり、はたまた相手に信頼してると思わせたかったりとかさ。期待、願望、圧力を籠めて言うこともあるでしょうし。「信じてますからね?」とか。

感性の違いってのもありますね。信頼なんて言葉を使われると気持ち悪いじゃないかって思う人もいるかもですし、取り入ろうとしているのかって警戒する人もいるかもですし、逆に信頼って言葉をつかわないと失礼じゃないかって感じる人もいるかもですし。そういった感性の違いもあって、言葉の意味ですら不明瞭であるわけですから、尚の事そりゃ意味が分からなくなりますよ。

少し関係ないですけど圧倒的な弱者である赤ちゃんは親を信頼していると思います。これはほとんど無条件に成立してしまう。どちらかというと弱者は強者を信用ではなく信頼する傾向が強いのではないかと思います。また共同生活してる場合は信用というより信頼じゃないですか。だって財布とか通帳とかカードとかスマホとか盗まれるかもしれないですし。それぐらい無防備になるってことは信用って感じじゃないですよね。今の時代スマホが盗まれるとかなりヤバいらしいですよ。注意してください。スマホが盗まれたら直ぐにでもドコモなり au なりなんなり連絡して停止しないと。

ってところまで考えると、やっぱり信じて用いる、信じて頼る、程度の理解で良い気がしますけど。もうちょっと正確に意味を理解したければ信用は金融用語って覚えておけばほとんど完璧じゃないですか。