謝罪とは

なんなんですかね。色々な観点で考えられる話ですが。政治的な意味合いでの謝罪とかさ。サディスト気質な人が相手を屈服させたことに満足感を得るための謝罪とかさ。公開処刑的な謝罪とかさ。心から謝りたいって気持ちからの謝罪とかさ。経済的な物質的な意味合いでの謝罪とかさ。

ポイントは謝罪って行為が反省だとか贖罪と密接に結びついていないところかと思います。俺は基本的には謝罪というものに価値は感じてないんですけど。ただ被害者が俺と親しい人であって、その人が謝罪に価値を感じているのであれば、俺も謝罪という行為を要求することに多少は積極的になるかもしれません。だって意味がないもんなあ。俺はサディストでもないし、それに支配欲みたいなのもない。謝罪してもらっても何も満たされません。ただ金は欲しいな。賠償してくれたらいいですよ。それとできたら反省して二度と同じことをして欲しくないって思います。謝罪という行為は要らないな。もし同じ迷惑を掛け続けるのであれば、謝罪は要らないから死んで欲しいとは思いますけどね。それも物質的な見返りじゃないですか。俺は死刑を執行して人を罰することでは満足感を全く得られないんですけど、自分にとっての脅威を排除するという意味で死刑は有用だと思ってます。バンバン殺せって意味じゃないですよ。

良くあるやり取りに「謝れ!」とか言うのがありますけど、その後に「心から反省してない!」とか言うじゃないですか。当たり前だと思うんですよ。謝ることで反省なんかするはずがない。頭悪いなあって俺は思います。もしかしたら謝るという行為によって反省する人が世の中に存在するのかもしれませんが。俺は無いと思います。基本的には口先と演技だけだと思いますけどね。俺がそうだったし。意味ないなあって思いながら頭を下げたことなら何度もあると思います。

謝るって行為を演出するじゃないですか。実は本当は謝りたくないんだ俺はプライドが高いんだって雰囲気を滲みださせながらプルプルと震えて謝るという行為を見せることで、さも謝るという行為の価値が高いって見せたりするでしょう。「謝れ」って言う人って言われてすぐに「ごめんなさい!」とか言っても満足しないんですよ。演出しないとだめらしくて。本当バカバカしいですよ。

おそらく実社会で最も謝罪という行為が有効活用されているのが、コミュニケーションとしての謝罪だと思います。主に故意にやったわけではないですよって意味を伝えるための謝罪ですか。これは確かに有用です。逆に何かの事故があって、その後にコミュニケーションとしての謝罪がないことに激昂するってパターンもありますよね。それは確かに感じが悪いといえばそうかもしれない。でも咄嗟に謝れない人とか本当に気づかない人とかもいますしね。またそこに付け込む人間もいますからね、当たり屋とか人のミスに付け込むタイプとかね。まあ色々ありますね。

後はあれか。「私は怒ってます」って意志を伝えたいだけなのかもしれないですね。ボキャ貧なのかも。当人がボキャ貧ってのもあるでしょうし、逆に相手がボキャ貧って可能性もあるから「謝れ!」ってシンプルな言葉であれば日本全国どこでも誰でも通用しやすいってことなのかなあ。相手が何時の間にか知らないうちにルール違反をしてたり、越えてはいけない線を越えてたりして。でもその場合は普通は注意から入るはずなんですけど、ボキャ貧の人の場合は最初に「謝れ!」から入る可能性はありますね。手が出ないだけマシなのかな。

まあ俺は基本的には謝罪というのは、自ら反省し、自らの意志で謝罪したいと思い、それが発露するのではないかと思ってますけど。だから要求するもんじゃないんですよ。そこからややこしい風が吹けば桶屋が儲かるの論理じゃないけど、どういう訳か謝罪を要求するって文化というか、そういうのが生まれちゃったんですかね。不思議だなあって思います。

後は教育か。幼少期に大人から悪いことをしたら謝るってことを何度も要求された子供が、そのまま大人になっても精神的に未熟なままだと、それをそのまま出してしまうのかもしれないですね。謝罪というコミュニケーションを自分の物にできていないということか。