強い信頼関係を描くのは大変

もちろん個人個人で差があることではありますが、そういった関係になるのは色々と大変だと思います。死地でお互いの背中を任せたり、お互いに窮地に陥った時は無条件に助けたり。そういった関係は状況によってはとても高価です。つまり高い価値があります。状況によっては得難いものなわけです。

これを描くのは通常でしたら、といっても個人差はありますけど、お互いのことを良く知ったり、場合によっては色々と裏を取ったり、時間をかけて育むことなわけですよ。色々とともに乗り越えたり。或いはお互いの弱みを知ったり。食事の好みがあうとか、遊びの好みが合うとか。補い合うことがあったり。そんな感じで二人の間に信頼関係が構築されるのは大変なわけです。そもそもお互いに合う人と出会うのが大変でもあります、世界のどこかにいても遠くにいるかもしれない。合う人がいたとしても、その人には既にほかに仲間がいることも多い。それが現実的な確率ってものです。

そういったことをかなりすっ飛ばす方法があって、それが命を救ったり、不治の病を治したり、そういう英雄的行動というか。それは確かに現実だったらとても凄いことだけど、作品として描くにはあまりにも簡単なことで。本来なら接近し得ない二人の関係を一気に縮めることができる劇薬なわけです。だから使いどころを良く考えないといけない。安易に使い過ぎるととても作品がチープになると俺は感じます。

シナリオの考え方は色々とありますが、世の中に出回っているシナリオライター基本編みたいなやつには、主人公などのキャラの魅力を引き出すように描くのが最重要って書かれたりしてて、主人公中心にシナリオを考える人も多いのかもしれないと思います。そこで主人公にこういった人的トロフィーを与えたいからこういったシナリオを描くって考え方が出るんじゃないかと思ったりするんです。でもそういうのって読んでて感じるんですよ、これは人的トロフィーシナリオだと。そう思わせるのは良くないと思っててね。そうじゃなくてそうなるのが必然なのではないかと思わせるように描くのが大事だと思うんですよね。つまりそれがリアリティなんですよ。

だけどチープな作品の存在を俺は別に否定しないので、作者が好きなように書けばいいと思っています。ただし俺の目につくと気になってしまうというだけ。主人公は大概ラッキーなんですけど色々な意味で、だけどリアリティを軽視してトロフィー与えすぎると、本当に単なるラッキーマンの人生の話って感じになっちゃってさ。それもありなんですけどね。それならそれでもっとギャグ路線にして欲しいとか思ったり。