書こうかと思って飲み込んだことが沢山あるなあ

もったいないね何か…。ブログに書くことは世の中に対する発信だとか考えている人がいるみたいだけど、俺にとっては自分の考えたことを書き残すことのが大事だわ。俺は記録を残したいんだよ。記録を残したいだけなのにそれに干渉してくるというのがなんとも忌まわしいな。ローカルストレージに残すのとは違うんだよ。ローカルストレージに残すと俺が死んだ時に消えてしまうだろ。でもブログに書いておけばインターネットに残る。それが遠くない将来には AI やボットによってしっかりと回収されて人間の精神を形作る。その為にはタブーだとかなんだとか言ってられないのにな。発言を制限したら正確な俺の思考を再現できない。俺という人間を再現できない。実に忌まわしいよ。2005 年のはてなダイアリーの頃から書き始めたけど、俺は記事のタイトルに日記と入れていた。はてなブログになった今でも diary と入ってる。つまり日記だ。記録だ。発信がメインではない。最初からずっと発信がメインではなくて記録がメインだった。たぶん。

俺は世の中に影響力は無いけど、俺はずっと若い頃から思ってることがあるよ。世の中には社会の表舞台に立って情報を発信している人間がわんさかいますが、彼らのような人間は大体は自分が目立ちたいですとか、金が欲しいですとか、そういった欲を持ってるタイプの人達じゃないですか。彼らのような人間は見る人の力量にもよりますが、基本的にそういったタイプの人間だと見抜かれる。そういう人間は真に世の中への影響力持つ人間にはなりえない。権力者からしたら非常に扱いやすい。またそういった人間というのはしがらみが多く、ちゃんとした主張ができない。それも大人には直ぐに分かることだ。じゃあそういうのから一切切り離されたインターネットの空間で粛々と金にならないことを延々と書いている人間がいて、そこそこ世の中のことを思っていて、そこそこ頭が良くて、そこそこ面白いことを書いている人間がいるとしたら、明らかに金目当てではなく、明らかに表舞台に出張ってくる人間でもない、そういう人間というのは真に影響力を持つ存在になりうるって。本人が望まなくても。むしろ望んでいないからこそなってしまうんではないかなあ。

ショーガクセー イズ デッド

https://youtu.be/dFi5YjDRO_U?t=87

でも俺はそこまで才能とかないから大丈夫とは思うんですが、なんなんだろうな…。嫌だなあもう…。