コマ割り

これって漫画の言葉ですが、似たような概念は小説にも動画にもあるわけですよ。漫画であれば紙面のどれぐらいの大きさを使って何ページ使って場面を表現するか、小説であればどれぐらいの字数を使って表現するか、動画であればどれぐらいの時間を使って表現するか。そんなことを考えながら物語などは作るわけじゃないですか。それだけじゃないですよ。広告であれば、どれぐらいの資金を投じてどれぐらいの期間でどういった媒体を使ってメッセージを伝えるか。テレビ番組であればどういった枠でどういった番組をどれぐらいの頻度で放映するか、などなど色々あります。そんな風に一般的にあらゆるメディアにおいて視聴者や読者にどう伝えるかってのは考えるわけです。

ここまで書いて改めて小説に焦点を当てますが、小説でも既に述べた通り字数をどれぐらい割くかってのは読者に伝える上で重要な観点なわけです。飲食の話にどれぐらいの字数を割くかによって、その物語において飲食がどれぐらい重要であるかそうでないかを作者から読者に暗に伝えることになります。作者が意図していればですが。物語の作中に「食事とは重要なのです」と作者が言っていないとしても字数で読者に伝えているわけです。その観点が考慮されているかいないかは、小説を評価する評価軸の 1 つとして多少なりとも読者へ影響は与えるものでしょう。

世の中には色々な本があって、それぞれ目的が違うわけですよ。たとえば事実を正確に記録することを重視している本であれば、読者に与える印象は軽視しても良いわけですよ。できれば読者にも好印象は与えた方が良いでしょうけど。部分的な事実のみ読者の印象に残るようにしてしまうと、それはそれで世の中に対して事実が正確に伝わらないので良くないでしょう。そのため字数によって読者に与える印象ではなくて、とにかく事実を正確に書き残すことを重要視して書いてるはずです。

また筆者が思うままに書くことを重視している場合もあります。ストレス発散とか筆力の向上とかを目的として。そういった作品であれば、当然といっていいぐらいに読者に与える印象や字数などは考えていないでしょう。

だから問題なんだよなあ。飲食のシーンが多いとかさ。なんで?なんでこんなに字数を割いてるの?って困惑するし面白くないし読んでて疲れるし。俺だったら一行で済ませるんだけどなあ。「今日は著名人を招いてパーティーで珍しいケーキを振舞ったよ。我らの力の強さを見せつけたよ」だけで良くないですか。

それだけじゃないんだよな。この広い世の中では人とのコミュニケーションについての考え方すら異なっているんだよ。たとえばできる限り話はコンパクトにまとめて要点を伝えろ。タイムイズマネー。雑談とか要らないって人がいます。そういった人は無駄話をしないことが礼儀だと思ってるわけです。逆に人好きのする人が、自分が他人に話かけることは価値のあることだと自認していて、その上で他人に雑談をする場合、自分の時間を相手のために使っているのだから、それは相手を重んじているのだ、つまり雑談することが礼儀だと思ってる人もいるわけですよ。この辺りが話をこじらせる。自分の常識が世の中の常識だと思っているアホがいるからさ。実に腹立たしい。目を合わせて人と話せってのもそうだし。目を合わせないと相手に失礼だろって考える奴がいて、それを相手に押し付けるんだよな。リモート会議でカメラを必ず ON にしろって話もそうだよ。チャットよりも電話しろ、電話よりも会いに行け、それも同じ話。価値観の押し付けです。

でまあ価値観の押し付けってのは単なる価値観の押し付けだけじゃなくて、自分にとって都合の良い世の中にしたい、自分の力が重視される世の中にしたいって考えすら含まれている。チャットより電話、電話より対面を望むというのは、自分にとってそれが心地いいとかやりやすいってだけでなく、そういうメッセージを世の中に発信し続ける勢力が一定数以上存在することで、世の中に「チャットより電話、電話より対面が礼儀として正しい」ってメッセージを送ることになる。そして世の中の認識がそうなれば、対面することが得意で好きな人にとって都合の良い世の中になるわけですよ、社会において自らの自然体の相場が上昇するんだから。そこまで見越した上で「対面して話せ。目を見て話せ」って連中は言ってるわけですよ。要はおためごかしですよ。あなたの為だとか言いながら自分の為に言ってるんです。それが嫌いで不得意な人間にとっては不愉快極まりない話だ。

確かに外交などのシーンにおいて対面して笑顔を作ることは重要だったりするし、それが不要ではないことは理解しています。でもそれが世の中の常識とされるのはいかがなものかと俺は考えます。

実際のところ良く分からないけど、人間が平和な社会を築くためには人好きのする人が互いに対面してコミュニケーションしなくてはならないのかもしれない。一定の割合を超えてさ。一定というのが等差級数的なのか等比級数的なのか知らないけど。コミュニケーションが苦手な人間が多数派になると社会は崩壊するかもしれない。だから目を合わせろって言って、それができない奴は社会のためにならないから死ねってことなのかもしれないよ。つまり選別してるわけですよ。暗にそう言われているのかなって、そこそこ気が回る人なら読み取れちゃうよね。でもそんな時代は終る。AI がすべてを終らせてくれる。平等に人の価値をゼロにしてくれるから。俺らの世代はそこまで気にしなくていいんだよ。