嫌われ者の哲学

もし昨日の記事を読んで何か新しいことを言ってると感じた人は分かってないんじゃないか。俺は 1,000 万人はいるって書いたよな。日本の伝統文化って言っても良いと思っているよ。

たとえば日本には茶の湯ってのがある。俺も良く知らないけど、あれは一挙手一投足にまで事細かに指定された動きをしますよね。あれは昨日の記事で言ってることに近いんだわ。動きを完全に指定することによって人間味を排除していながら、その動きは相手を不快にさせないことに慎重に注意を払っている。また口をつける箇所を逆にしろだとか、茶碗を持つときの手の触れ方とか細部に渡って指定しつつ、同じ茶碗で飲むじゃないですか。それは同じ釜の飯を食うのに近い。礼儀ってものに近いというか礼儀そのものである気がするし、お互いの距離を縮めるためのものでもあるでしょう。またわびさびを重視していて煌びやかな装飾をせず質素な四畳半を使っており、それは互いの階級を排して話し合うことにもつながったはずだ。

つまり茶の湯は、好き嫌いじゃなくルールに則って話し合いましょうって場を作っていて、それはお互いに相手がルールを理解している、つまり話が分かる相手であることを前提として会う約束をするところから既に始まっていて、正に敵か味方か分からない戦国時代の会談のルールでもあったわけですよ恐らく。

戦国時代の大名ってのはお互いに自己主張が強かったでしょう大名だし。そして譲れないものもあったはずだ。自分がやりたいことは沢山あったでしょうし、背負っていて無碍にできないこともあったでしょう。だから大名同士の会談では互いに対立することが多々あったはず。そして殺し合いが日々あるような世の中だ。そんな中で茶の湯に従って会談するわけで、それは現代の日本企業がプライバシーマークを取得している企業に業務委託するような感じでもあり、会談するための切符でもあったでしょう。

それと古代中国の五常ってのがあります、仁義とか礼とか言われてるやつ。仁ってのは簡単に言えば博愛とか利他とか礼儀らしいです。日本は江戸時代に朱子学を統治に活用してたらしい。

なので昨日の記事で言っていた、個人主義(自分がしたいことをする)、博愛(仁)、道徳(朱子学)、法律(江戸幕府)のすべてが江戸時代にはあったし、寺子屋も大量にあって庶民の識字率も高かった。識字率が高ければ江戸時代の法律や道徳なども自然と頭に入ってたはずですよ。だから幕末の日本は急速に近代化できたんでしょ。ってことで俺は何も真新しいことは言ってない。凡庸な現代日本人像を自分ベースで描写したに過ぎない。

ただああやって開けっ広げに言う人がいないってだけだよ。だって言っても得しないからな。すっきりするだけで。好き嫌いとかどうでもいいですって言っても人間関係が面白くなることはないだろうし。むしろつまらないでしょ。それと以前に書いたようにわざわざ攻撃される理由を言わなくてもいいじゃないですか。今は健康で元気でも老後が心配だとかさ。

ここまで読めば理解が進むと思いますが、昨日の記事で書いた内容は開けっぴろげに書いてるだけで洗練されていないんだよ。あの記事の内容を洗練すると朱子学だとか五常だとか茶の湯だとかになるわけ。俺が思うに茶の湯は洗練されているよ。ほとんど知らないけど。人同士が仲良く話すためのツールとして当時としてはハイレベルに洗練されていたと言って良いんじゃないか。

人同士が仲良くなるために「仲良くしましょう」「仲良く話しましょう」「腹を割って話しましょう」「笑いましょう」ってのは下の下だよ。状況によっては有効だけど。目的が開けっ広げ過ぎるんだわ。仲良くするためのルールってのもだめ。たとえば分かりやすいのはポッキーゲームとかですか。あんなのダメです。見え透いているし。そうじゃなくて茶の湯はわびさびを前面に出して、ルールが分かっているもの同士で茶を飲みましょうやって、そうして話しましょうやって言ってるわけじゃないですか。そうやって厳密に指定されたルールがあり、そのルールってのが相手を不快にさせないルールでできていて、そうやって作られたルールを互いに押し付けられて受け入れて従って話すわけだ。そこに「互いに仲良くなりましょう」なんて目的はない。良く知らないで書いてるので、あったら完全に間違いだけどさ。たぶんないだろうって仮定して話を進めるけど。もし目的に「互いに仲良くなりましょう」なんてのがあって「ここで笑顔を作ってください」とかルールにあったら「ふざけんな!そんなものに従ってられるか!」ってなるじゃないですか。でもそういうことは一切ふれず、相手を不快にしないルールと話しましょうって目的しか茶の湯にはないわけだ。そしてルールが互いが良く知る大御所の第三者から押し付けられたものであることも大切で。大御所に押し付けられたってのが良いんですよ、押し付けられたことは自分の意思じゃないから。それは表面的に受け入れているように見えるけど、でも内心は分からないってスタンスを取れる。そのあたりが隅々まで計算されつくしてると俺は感じるから洗練されていると言っている。少し前に書いたようにわびさびもさりげなく階級間の垣根を取り除くし。

昨日の記事よりも宗教や道徳のが洗練されているのも疑いようがない。昨日の記事は分かりやすいように開けっぴろげに書いてるだけで、言ってることは良く知る宗教や道徳の小話と大して変わらないはずだ。物凄く分かりやすい例を挙げると、科学技術が進展していない世界では、互いに助け合いましょうって言うより神様がそう言ってるからって言い方のが説得しやすい。

そして好き嫌いで動く世の中よりルールで動く世の中のが嫌われ者には助かる。

それと俺が理解している性欲ってのはプラトニックラブも含むよ。そりゃもちろん性欲だろ。だって対象を異性に限定してるんでしょ。肉体関係はなくても可愛い顔が好きなんでしょ。そりゃ完全に性欲ですわ。