言論の自由と言論に責任を持つこと

これはどちらも大事なんだ。俺は言論の自由を大事に考えていますので、俺が今まで自由に書いて来た政治的な発言の大部分は肯定的なものとして考えています。一方で責任を持つことも大事です。それが俺のスタンスなんですが。インターネット上で俺は円高が良い俺は円安が良いって言ってるのは、あって良いことと俺は考えていますし、更に言うと、それについて責任を取る必要はない認識です。これは俺の為に言ってるように思うかもしれませんし、事実そういう面もありますが、それ以前の話です。

心理的安全性って言葉が最近では良く聞かれて、便利な言葉だと思っています。心理的安全性が高い職場は、誰かの発言に対して他の誰かが攻撃的な反応をしたりしないので、皆が互いに率直に意見を出し合い、より良い案が素早くできあがっていくということです。そういう流れや空気は大事なわけですよ。

だから程度にもよるんですけど、一般的なレベルの円高が良い円安が良いって発言であれば、俺は別に発言に責任を感じる必要は一切ないと考えます。ただ問題がないって言いきると、工作員が活発に活動し始めるのかもしれませんが。結局のところ政治不信ってのがありますから。上が信じられない。だから色々と意見を言いたくなる。彼らには彼らの信じるところがあるんでしょう。それは咎められるべきではない。

だからこうして俺が多少なりとも責任感を感じて振り返っているのは、俺自身の考えによるものであって、誰かの考えを受け入れるものではないということです。俺は過度に責任を取るのは嫌だなと口を噤むような社会は全く望んでいません。