休日に酔って書く

ロッコ問題の要諦ってのは時間とステークホルダーの数な気がするんだよ。確かにトロッコ問題は人の命がかかっていて、それをトロッコの向きを変更する権限を持った人間が意思決定する際の問題ですよ。でもそれってのは問題をそのままに捉えてもしょうがないって言うか。出題者が何を考えて出題したのか知りませんけど。差し迫った事態があって、それに対してコンマ一秒で決定するとしますよ。人間ってのは判断を誤る生き物です。コンマ一秒で正しい決断ができるでしょうか。まずできない。つまりコンマ一秒でトロッコの向きをどちらにしたところで、本人はいくらでも弁解できます。自分に対しても他者に対しても社会に対しても、いくらでも言い訳ができます。死者は蘇りませんが。でもどちらの死者をなかったことにしたところで善悪も正答もないわけですよ。そうなると大事なのは時間じゃないですか。どれぐらい決断までに時間があるか。つまり出題者に対して問題の是非を問いただすことが俺には正答に見えるね。過去問として問題を見る視座がそもそもの誤りってわけだ。人間社会ってのは一般的に地位が高くなれば高くなるほどに多くの情報に触れることができて、それに対して決定する権限を持つわけです、つまりより広い範囲に対して権限を保有することになり、またより早く決定権を得ます。また合議制の社会などではステークホルダーは多数いて一人だけで決定しませんよ。逆に底辺の人は一切合切の情報を得られず、自分が直に見聞きした情報だけで判断しながら、ある日その生涯を終えるんです。他の誰の生涯を左右するような権限を得ることもなく、情報を得ることもなくある意味で幸せに死ぬし或る意味で不幸に死ぬ。それよりも少しだけ地位が高い人は底辺の人の生死を 10 秒前に知るかもしれない。だけどそれを見殺しにして他の多数の人を活かす決定をするかもしれません。それより地位が高い人は底辺の人やそれより地位が少し高い人の生死を 100 秒前に知るかもしれない。そして同じ様に決定する。それが頂点まで連なってるんですよ。それがピラミッド上になってるのがピラミッド構造の社会でしょう。トロッコ問題を疑問視して議論する範囲を拡張すればそういうもっと実社会に即したような話に行きつきますよ。そもそも出題者の無意味な出題にまともに答えようとしちゃだめですよ。その時点で催眠術にかかってるね。それが学校教育を受けて来た人間のサガなんでしょう。そういう思考法は実社会に弱い。逆にクソみたいなラノベを読んでる人間はそういう思考の外法に強くなるのかもな。たとえばさ「あなたは 3 日前の時点で私の家族が死ぬことを知っていて決断したんだわ!」「あなたは 3 分前の時点で私の家族が死ぬことを知っていて決断したんだわ!」ほらね、全く重みが違うでしょ。