眠りにつく前に考えてたことや夢の内容を忘れる

これは憶えてたら何かネタに使えるかなあって思いながら眠るんですが、大半を忘れてしまっている。勿体ないな。

先週に書いたように予め問題を持たせた人材を政権の要職に据えることで、何か外的要因で政府のかじ取りを変えなくてはならなくなった時に、その問題をリークなどの形で表出させて更迭することで、機動的に変化に対応できるのはメリットなんですよね。ただデメリットも当然あります。あまりこういった考え方が一般に浸透してしまうと、世間が冷めてしまうというか。どうせ演技なんでしょ芝居なんでしょって。法令遵守とか言いながらってさ。偉い人達はどうせ法令違反してるんでしょって。そうなってしまうと国民の遵法意識が低下してしまったり、正しいものが評価されるわけではない、頑張っても報われないって雰囲気が出来てしまったり、グレーゾーンを攻めることが評価されるような風潮が醸成される。場合によっては汚職が罷り通ってしまう。そういったデメリットがあると思っていますので、やっぱり俺のように思ってても、それでもマスコミや国民は真面目に政治家を批判するべきなのですよ。法令違反は許せないって。それがあるべき姿なんでしょう。そうなると予め罪を背負わされた政治家は損な役割ってことになる。それはそれで問題ありだよな。

そもそも政治献金がどういうことに使われたら正しいなんて、そういった定義ってあるんですかね。献金した人が私は憤りを感じてるとか言ってるのが匿名っぽく放送されてましたけど、じゃあこの人は何に使われたら納得するんだろうって思いました。最初から何に使って欲しいってのがあるのであれば、自分で使えばいいじゃないですか。その方が早いし。なんなんだろうな。ある人は融資が必要になった時に政治家が口利きしてくれて速やかに融資が動いてくれたって話をしてましたけど。それで充分にメリット享受してるんじゃないかって感じてしまったんですが。それはそれで黒いですけど。

俺は金に困っている政治家の生活費に献金が融けて消えてしまっても、それはそれで別にありなんじゃないかって考えますけど。献金って相手を信じて渡すんでしょ。だったら生活に困っている政治家の生活費になってもいいじゃないですか。そしてその政治家の生活が改善されたら、その人が政治活動を頑張って日本を立て直すかもしれない。何かおかしなことを言ってますかね。

政治家が年間 1 千万円以上の報酬をもらってることについては、俺は報酬の額は下げるべきではないって考えてます。何故なら金持ちでも貧民でも政治家になれないといけないって考えてるからです。つまり貧民でも政治家になれるべきって俺は考えているのであって、金に困っている政治家はいるだろうってところにつながり、その政治家の生活費を援助することで立派に政治家として活動するのであれば、それはそれでいいじゃないかって考えます。貧民の出身であれば貧民のために頑張ってくれるかもしれません。逆に金持ちの政治家であれば、金に困ってないでしょうし、生活費を援助する必要もないでしょうし、政治献金を生活費に使うこともないでしょう。でも金持ちの出身なので貧民のために頑張ってくれないかもしれません。違いますか。

しかしながら、ここまで書いた上で、それでもなお表向きは政治家の法令違反を我々は非難しなくてはならないんですよ。まったく世の中ってのは面倒だな。そして政治家ってのは損をしている気がします。1 千万円の報酬があっても、そんだけ非難されたら大変じゃないですか。世間には金が欲しいって嫉妬だけで非難の声に力を籠められる人達もいます。それに結局のところどれだけお約束だって分かってる感じの人達がいたとしても、本当にそうであるのか証拠などはない。一般の民間人はそんな世の中の深部まで触れることはできない。なのでお約束って理解しつつも、それでもこいつらは本当に悪い奴なんだって前提で咎めることができる。

まあそんな損な役回りだから悪いことに手を伸ばす政治家もいるわけで。また悪いことに抵抗がないからこそ政治家になるような潮流が生まれるわけで。それはそれで良くないわけだよな。国民がしっかりと非難することで、政治家をもっと追い詰めて良くない方向に世の中が進んでしまう。結局のところ外的要因ってのは日本国内じゃどうにもならないことなんですよ。為替や原油価格は日本で決められないのと同じで。アメリカやロシアや中国のような強国の影響は避けられない。そういう世界では法律より寧ろ弱肉強食といった論理が優先して通用したりするわけだ。でも国内的には法令遵守を政治家に強要する。実際には弱肉強食にさらされながら法令遵守を求められる、非常に理不尽な立ち位置なわけです。場合によっては殺されてしまうような世界なのに。

でもまあ普通に政治家の生活費に使いましたって帳簿に記載すれば良かっただけなんですかね。それはそれで非難されるんだろうなあ。

嫉妬と不公平ってのは割と近い概念なんですよね。不公平って言葉は客観的な理解や承認を得ているような言い回しなんだよな。それに対して嫉妬ってのは本人にどちらかというと問題があるかのような言い方なんですよ。どちらも次のようなケース、A さんと B さんがいて、A さんが 50 円 B さんが 100 円を無条件に得たようなケースで言えることなんですよ。この時 A さんは B さんを見て不公平と感じることもあるでしょうし嫉妬することもあるでしょう。でまあ世の中では憲法国際法で機会均等について記載があるらしいので、そこから順当にこれは法的に客観的に不公正・不公平であると認められれば恐らく不公平って言えるのであって、その範疇に含まれないのであれば嫉妬って言われるんだと俺は考えてます。実際には言葉の定義としては、不公平って言葉のが嫉妬って言葉より意味が大きいというか広いというか別概念だろうってのもあるんですけども。不公平と感じてるけど嫉妬はしていないって言い方もできるかもなので。

大岡裁きというのは難しいね。ティアムーン帝国物語は大岡越前みたいな話ですよ。俺の認識では。アニメ見てませんが。