この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

この歌ってのは新解釈があるらしいですよ。検索すると記事が出てきます。2021 年の記事だったかな。藤原道長が本当にこれを即興で作って、その新解釈を意識していたのであれば相当に頭が良いことがうかがえます。俺の好い加減な記憶を書きますと「わが世とぞ思ふ」ってのは、この世は俺のものだぜって意味ではないらしいですよ。そういう解釈もありますが、自分のやりたいことが思い通りに進んでまるで自分のための世界のようで嬉しいみたいなカジュアルな意味も含んでいるそうです。それと和歌は当時の貴族の遊びだったから「この世」と「この夜」を掛けるのは普通にあることらしい。さらに「月」は「盃」と掛けたりするらしいし「月」は女性も意味するらしい。その歌を歌った状況というのが、男たちで盃を持って飲んでいた状況らしいんですよ。だから盃が関係してると。それと女性っていうのは、藤原道長の子供の四姉妹が次々に天皇陛下に嫁いだってことを意味しているのではって話です。だから月が満ちているってことだそうで。夜空に浮かぶ満月は少しだけ欠けてたらしいけど。でも作った実績は満ちている。こうして我々は盃を合わせているじゃないか何も欠けていないなって話。そう思うと面白い一句ですよ。