レビューってのは

関係者を集めて会議みたいに行うのと、レビュアーが一人でレビュー対象の資産をじっくり見るのとありますけど。細かいことを言うと他にもあると思いますが。まずレビューの目的が何かってところから入るんですかね、レビューの話をする場合は。些細な問題は無視して大きな誤りを見つけることだけが目的なのか。好い加減なところはそこからして曖昧ですけど。きっちりしたところは誤字の 1 つまで見つけるようなレビュー体制にするんですよ。そうなると会議形式のレビューというのはしない方が多いかなあって思ってます。好い加減なら好い加減で別に良い気がするんですけど。費用対効果を考えて設計書の質を下げるという判断であれば。でも異常に細かいところまでしっかり決めてる癖にレビュー体制が貧弱とか俺は矛盾してると思いますけど。新聞だって雑誌だって校閲って作業があるんですよ。だけど設計書に校閲がないっておかしいって俺はずっと思ってるんですけど。でも世の中に広く出回るものじゃないから質を下げるって話であれば納得なんです。でも質を下げる気はない、だけどレビュー体制は貧弱って、そりゃおかしいだろって思います。そういう現場ってのは最初から破綻してるんですよ。人数的にも能力的にも人材が不足しているんです。設計者達にレビューしなくても完璧なものを作り上げることを求めているって詭弁がありますけど、はっきり言って詭弁ですよね。文筆の専門家でも校閲を必要としているのにたかがシステムエンジニア校閲を必要としないわけがない。そういう分かり切った詭弁を言うから建前ってことが見え見えになって白けて意欲の低下や作業の質の低下につながると俺は思っています。でもそういう無能って言ったら失礼かもですが、そういう人が上に立ってしまう現場というのも多々あるのが現実です。要領よくやれってことですよ。じゃないと直ぐに切られます。そうして自分が困窮するだけです。実はこういう考え方が蔓延すると耐震強度偽装問題みたいなのが起こるんですけどね。俺もなるべく頑張りますけど限度ってものがありますから。暴力的な理不尽な要求に従って早死にしても浮かばれませんよ。