確率とリアリティとテーマ

他にも考慮することは沢山ありそうですが。今までに何度も書いたようなことを、より洗練して考えをまとめ上げていくために書きますけど。長編小説を書くと、どうしても確率に偏りが出ると思います。大抵は主人公がラッキー過ぎるからです。そういうのを読むと俺は単なるラッキーマンの物語にしか見えなくなって、どうでも良くなるというか詰まらなくなるというか。もちろんギャグセンス高かったりすると別ですけど。でもギャグに走ってるわけでもないのに、それをラッキー過ぎるって思わせない技量ってのがあると思います。そこを掘り下げていきたい。どういう風に物語を書けば、ラッキーマンって辟易しないで済むのか。

前に「あっちで火山が噴火して沢山の人が死んだらしい」って行商人の一言だけ一行だけ描写するだけで良いんだって言いましたけど、この真意がちゃんと伝わってなかったかもしれないので書きますよ。これは確率の問題です。たとえば主人公がダンジョンを攻略したとします。それがとても珍しいことだったとします。主人公は若手で経験が浅いのにジャイアントキリングしたみたいな感じだったとします。それはその国では 100 年に一度とか珍しい話だったとしましょう。でもそれは世界全体では 10 年に一度とか、それぐらいの確率で起きてる事象だとします。その確率感っていうのかな。そういうのを読み手に伝えて欲しいってことなんですよ。その世界でその事象はどの程度の確率で起きているのかって。その為には対比するだけの情報がなくてはならないでしょう。それが行商人の一言なんですよ。そういった珍しいことは他の場所でも起きていますよって推し量れるような情報を読み手に与えて欲しいってことです。そういった情報が色々と出ると、主人公だけが世界でも稀な事態に遭遇し続けている、異常な確率/運命にいるって思わさられないで済むというか。そうすれば単なるラッキーマンの話じゃないじゃないかって思えるわけです。

後はリアリティって言うのかな。これも確率なんですけど。そういったライトノベルの主人公は序盤でとんでもない幸運を得るんですよ。それこそ歴史上存在しないレベルの幸運を。そこまではいいです。そこから物語が始まるって感じじゃないですか。なんで最初のとんでもない幸運は許せるんですよ。そういうギミックなんですねって。だけどその後で主人公が連続して非常に低確率な運命を辿るのは、許せないわけです。確率的におかしいだろ、またラッキーマン物語かよってなるんですね。それを先述した火山噴火描写ではなくて、別の方法で解消する方法があると思ってます。それは数珠繋ぎになった運命ですよ。ある時、ある世界、その瞬間を切り取ったとして、その断面から世界が始まり時間が動き出すとするじゃないですか。そうしたら主人公がほとんど必然的にたどるであろう運命って言うのかな、そういう情報や世界設定の作り込みっていうのかな、そういうのをきっちりと描き込んで低確率な事象が異常に連続して起きているって思わせないように物語を書くことができれば OK なんですよ。主人公が生まれた場所、地域、国、年代、その時に世界には色々なキーパーソンがいて、それぞれがそれぞれの思惑で動いていたとして、その辿っていく運命がとても妥当である場合、その場合は主人公が幸運に恵まれているとしても、単なるラッキーマンとは見えないんです。妥当性が感じられるから。リアリティがあるから。

でまあ火山噴火の行商人の一言についてもリアリティ感じられる世界設定についても、どちらにも言えるのが世界についての描写なんですよ。主人公が今いる場所の情報じゃなくて、他地域の情報の描写です。そこをしっかりと書けていれば、確率的におかしいって思わないし妥当性が見られるしってことで、ラッキーマン感が薄れて面白いじゃないかって読み続けるモチベーションが維持できるんです。俺の場合はですけど。無駄なことを書くなって人もいると思いますが。

後はテーマか。何を描きたいのかってところ。そこがしっかりしていれば、多少の幸運続きなんてのは見過ごせます。長編小説ってのはだらだらと単に長いだけみたいな感じになるじゃないですか。別にそれでもいいんですけど、しっかりとテーマを絞って描写を絞ってあれば異常な幸運に恵まれていると感じても、なるほど、それが描きたかったのねって納得できるんですよ。つまり読む価値を見出せるんです、主人公がラッキーマンであってもテーマさえしっかりしてれば。テーマって単語が間違ってるかもですけど。モチーフとかコンセプトでもいいかもしれない。とにかくそういうところです。

長く書き続けることを目的とする小説の場合は、テーマもぼやっとしてるし、世界についての描写もない。長く書くことが目的だからテーマも長く続く小説みたいな感じになって、手段が目的化してるって訳でもないけど、そんな感じでテーマ性が薄くなります。それに長く書き続けるためには、色々な乱数や変数を残しておく必要があって、世界設定を後付けで付け加えしやすい状態にしたりします。世界についての描写が少なくなるんですよ。だから長く続いてる作品ってのはテーマ性もリアリティもないことが多くなるわけですよ。ちゃんと初期からそういうところを練ってる人もいると思いますけども。でも初期から練っておいた案ってのは長い時を経ると読者に見破られることも多いわけで。そうなると長編作品の価値なんてのは、サザエさん的な安心感的な安全地帯的なものしかなくなってくるというか。別にそれが悪いとは言いませんが。たぶんそういう作品ってのは読み手の価値観に近いような、読み手の価値観を肯定するような作品になるんですよね。何せ安全地帯だから。或る意味で宗教かもな。