彼等の彼等たる所以

なぜ彼等はもはや正当性が薄い立場に甘んじて、変わろうとしないんだろうか。なぜ小手先の下らない対策をしたんだろうか。

囲碁も将棋も AI が人間より強いことが証明されて、棋士というものは科学者としての立場があまりなくなった。AI の指し手の解説者ぐらいに立場が落ちた。囲碁は国際展開されてて国際試合があるので競技団体としての価値はある。保護するほどのものなのかは微妙ですけど。将棋はほとんど国際展開できていない。国際交流の役にもあまり立たない。なので経済的、外交的な観点からはほとんど保護する価値がない、と俺は思いました。

じゃあ他に理由があるのか。保護するほどの価値が。まず 1 つは軍事的な理由。棋士を特別な地位にしたのは徳川家康の認識ですが、徳川家康の頭の中はわかりませんが、当時の情勢を考えると軍事的な理由というのは考えられる。兵法家を平時でも集めようって魂胆はあり得る。でもその為には彼等が全て自衛隊員にでもなってくれなきゃ困るんですけど。それと将棋の勉強だけじゃなくて兵法の勉強もしてもらわないと困るなあ。そこまでやってくれないと保護する意味はないかなあ。棋士ってなんで棋士って単語なんだろうってあまり考えたことないですけど、何か騎士とか武士とか武士道的なものを改めて見てみると感じて。この人達って本当はそういうことしなきゃいけない人達なんじゃないのかって思いました。棋士って単なる文化人だと思ってたけど、本来は軍人なんじゃないかって。そう思いました。非常事態が起きてから兵法の勉強を始めれば良いとか、そんな考えは甘いと思います。むしろ今でも国連活動の前線に行って欲しいぐらい。実戦経験を積むべき。どれぐらいの規模の部隊の指揮が適しているのかとか、そういうのは全くわかりません。

後は政治的な理由ですかね。これも逆の意味で徳川家康の考えだった可能性がある。もしかしたらなんですけど、徳川家康は兵法と将棋の共通性を見出したのかもしれない、将棋に強い人間は用兵も上手いとか。それが真であるならば、徳川家康はそういった脅威になり得る強い人間を集めて無力化したいという衝動に駆られたのかもしれない。そこで始めたのが棋士の仕組み。だったのかも知れないと思いました。政治的な理由というのは他にもあると言えばあります。単純に娯楽とか民心掌握とか。でもそれは当たり前の話なので省略します。

だから文化人的な側面というのは現代では当たり前っぽくなっているし、それしか無いんじゃないかって気がしますけど、本来の目的は全く別だった可能性があるのかなあって。もしそういうことであれば経済や外交だけで物事を判断するのは間違いかもしれませんね。

でも現代社会は当時より高度化していて、頭のいい人間がする仕事なんて腐るほどあります。将棋や囲碁で腐らせるのはもったいないんですよね。徳川家康の考えはわかりませんが、当時とは色々な面で情勢が違い過ぎるんです。本当に今の時代に徳川家康が同じ判断をしたかっていうと、俺にはそうは思えないんですよね。徳川家康ほどの人がですよ?これだけ情勢が違うというのに。

なので将棋界が正当性を得るためには、国際化を進めるか、もしくは軍人化するか、どっちかなのかなあって思いますけどね。それか保護を完全に外してアマチュア競技団体にするか。アメリカの策略で、軍人化して日本を強国化させないために、もしくは有能な科学者を生ませないために、敢えて将棋とかいう文化人枠に押し込めているって可能性もありますけど。これは偏見バリバリの話ですが、加藤一二三さんはクリスチャンなんですよね。クリスチャンって欧米勢力の尖兵って偏見が俺にはあってね。日本にはカトリックプロテスタントがなくても、そもそも「あるのに」って。まあこれはかなり偏見なので気にしないでください。クリスチャンの皆さん、すみません。