手段の目的化

こそ目的だったかもしれないんですけどね。平和を維持したいという当初の目的があって、そのための手段として棋士というシステムを作った。だけど平和を維持するためという目的は伏せた。知りませんけど公式記録にも非公式記録にもないのかもしれない。なぜ伏せたのかというと、そういう目的を残してしまうと公式にしろ非公式にしろ、その目的を果たせなくなってしまうから。平和を維持するためとか頭の良い人間を無力化するため、なんて書いたらバレバレなので棋士システムの意味がなくなってしまう可能性があるんですね。徳川家康は平和を本当に望んでいたんだろうと俺は想像してます。自分の判断で嫁や息子を殺さなきゃならないような異常な時代が二度と来ないことを望んでいたはずです。であればこのぐらいの嘘は大したことなかったでしょう。非公式記録にも残さないんじゃないかな。だってそれぐらい平和への望みが大きかっただろうからさ、手段は選ばないし秘密は徹底的に秘匿したんじゃないかな。そして最終的に将棋は好きだから面白いから発展させたい、みたいな表面的な理由が独り歩きして、それを保護すること自体が本当に目的だと国民全体が思う時代が来た時、その当初の目的は完遂されている。つまり手段が目的化することこそ目的だった可能性もあるってことですね。正に 100 年の計ですよ。なんですけどそれは世界情勢が動かないことが前提でした。黒船来航の時代になり、庶民の力を削いで中央に力を集めて国を安定させる、という体制ではとても海外勢力に対抗できなくなってしまっていた。時代が変わった。その時点で棋士システムの役目は終っていたのではないかと思うところもありますが、流石の徳川家康もすべて秘匿して死んでしまったとすれば、時代の変わり目に棋士システムがどうなるかはどうにもできないとあきらめていたのかもしれない。タイムカプセルみたいなのが実はあったりするのかなあ…。江戸時代が終った時に掘り出して開けて読みなさいみたいな。そういうのも無ければ完全に未来の人に賭けてたってことになるのかなあ。まあでも全ては想像にすぎません。