組織論とか人事管理論とか知らないけど

そういった面も色々とあるにはあるんですよね。何度も同じようなことを書いたかもだけど。長期的に同じ部署に人を配置すると、属人化が起きやすいってのは確かにあるんですよ。そうすると専横的な人物が部署の実権を握ってしまうと企業統治などの観点からマイナスなんですよね。配置転換にはメリットがあるって理屈もあるそうだし、社内の交流が盛んになるとか意外な適性の発見とか。前時代的な発想な気はしますけど。今の時代ならオンラインで部署間交流だってやろうと思えばできるし。適性なんてものはふざけた話で、本人がやりたいことをやらせればいいのにな。本人にやりたいことがないのであればグルグル回せばいいじゃない。非常に嘘くさい理由なんだよなあ。口実にしか聞こえないというか。実際には左遷とか自由にやりたいって組織の力を見せつけたり、リストラに上手く使ってるだけなんじゃない。そこまで極端でもないだろうけど。それ本当に必要かなあって感じますよ。確かに組織の意向で「お前は今日から関西に行け」って好き放題に言えるのは会社という組織としては強いですけど。QOL は低いかもしれない。行きたいって人が行くんであれば問題ないですが。まあでも人間なので、実はメリットを感じる人もいるんでしょう。佐藤さんと鈴木さんがいて、めっちゃ険悪な関係であれば何かを口実にして他の職場に行きたいでしょうし。その時に「会社の配置転換のシステムの所為で」って理由があれば、自然と引き離せるというか。社内ストーカーとかもいるかもしれないし。そういうのに都合が良いんだろうか。いずれにせよ人間的な成長があれば、すべてなくても良い制度な気もする。それこそ理想主義過ぎるんだろうかな。個の確立ってやつですか。すべての個人が立派な人間であれば、すべて上手く行くよって現実味がなさすぎるかな。社内にはストーカーもいないし、険悪な関係もないし、専横的な人間もいないし、放置していても社内交流は活発だし、すべての人間が今の自分の配置に大満足でやりたいことができている、確かに現実味は皆無と言って良い。悲しいな。そう考えていくと、正規雇用の総合職ってのが問題になってたりするんですかね。ジョブ型雇用であれば配置転換とか考えなくて良い気がしなくもない。今の時代は非正規雇用が多いしさ。非正規雇用正規雇用の中間的な何かを作って、それに統一したら、もっと世の中は良くならないんでしょうか。良く分かりませんが。リストラするための嫌がらせが正当化される世の中なんておかしいじゃないですか。実態にあってないんでしょう。でもアメリカは確かに厳しいよ。雇用主の気分次第で解雇できるとか、そういうレベルの権限を持ってるのがアメリカ企業らしい。コーポレートガバナンス力に特化してるよなあ。実は出世ってのも良く分かってないよ。マクドナルドみたいな小売であれば、アルバイト、パート、平社員、副店長、店長、エリアマネージャ、取締役、代表取締役社長、みたいな感じになるんでしょうか。こういうのは凄く分かりやすい。最近の企業では主任とか係長とか課長とか部長みたいな意味不明なポストを無くす企業も出て来てるそうですけど。もっと具体的な作業や任務の長みたいな職業にしているというか。IT 企業ってさ、あまりこう、出世によって地域的な広がりを見せるとか、そういうのない気がしてて。エリアマネージャとかなさそうっていうか。IT って社会において間接的な仕事なんですよ。だから学校にも IT はあって、病院にも IT はあって、金融にも IT はあって、物流にも IT はあって、行政にも IT はあって。なので IT 企業の中もそういう感じに業種ごとに分けてたりする会社もありそうです。また SES っていう人材派遣の会社もあって、そういう部署を独立させることもありそう。それとか社内企画のシステムを売るとか。それはそれで部署ができそう。BtoB と BtoC の違いもありますし。ハードウェア、スタンドアロン、WEB、オンプレミス、クラウド、そういう分け方もできそう。そんな感じで IT 企業の部署って分かりにくいが感じあります。少なくともマクドナルドと比べると分かりづらいと言わざるを得ない。世の中のありとあらゆることに関わってる感じがあるし、IT の中でも細分化するとめっちゃ色々あるというか。出世したとして、どういう感じで出世するのかは企業ごとに異なるわけで。それはどんな業種でもそうでしょうけど。例えば派遣で金融系の仕事をしてた人が出世したら、派遣部門の長になるのか金融部門の長になるのか、会社ごとに異なると考えることができます。それでまあ何が言いたいかって、平社員、店長、エリアマネージャって出世コースなら、なんつーか、今まで自分がいたところを含む形で権限や責任が及ぶ範囲が物理的に拡大していくって分かりやすいイメージがあるじゃないですか。IT 企業ってそういうのが分かりづらいなあって思ったんですよ。それだけなんですけど。なんか責任の所在が曖昧になるというか。責任の所在を曖昧にするものとしては他にも工程の分離と外注ってのがあります。設計は自社で製造は他社で、みたいな。しかも IT の設計って製造とほとんど同じみたいなところありますから。ソースコードのことを、コンピュータ知識が皆無な人に説明するときに「コンピュータソフトの設計図」って言うぐらいですよ。でもソースコードは製造工程で作るんですよ普通は。だからソースコードを書くための資料があって、それを設計書って IT 業界では言ってるはずです。そしてこの設計書ってのが雑なんだわ IT 業界は。何しろ製造工程で作るソースコード自体が設計的な要素を多分に含んでるので、ソースコードの為の入力である設計書は雑なんですよ。しっかり書こうじゃないかって企業もあるらしいけど。そのあたりからして雑ってことが良く分かりますよね。責任の所在が曖昧というか。他の業界だと製造工程ってのは設計通りに作るものだと俺は理解しています。もちろん設計のミスを指摘することもあるでしょうけど。でも IT 業界ほど設計ミスを指摘するのが当たり前って思われてるような業界もないですよ多分。だから基本設計と詳細設計って言葉があったりする。この境界も曖昧なんですけど。経済産業省的には業界標準を定めたいような感じもあるんでしょうけど、個々の現場現場で違うというか。それでまあ以前に書いたように基本設計側は単価が高くて、詳細設計側は単価が安くて、基本設計を行う会社が詳細設計を行う会社に安い単価の仕事を外注するって感じ。そういった二次受け、三次受け構造があるんですよね。そうなると責任の所在とかますます曖昧になってさ。その刹那主義とまでは行かないもののその場しのぎな仕事をするようになるわけだ。だって詳細設計工程を請け負った企業のリーダー格が、会社で出世するとして、その人はどういった部署に行くと思いますか。派遣部門のトップとか、そういうポジションに進む気がしませんか。そうなるとさ金融の仕事をそれまでやってたとしても、金融とは無関係になっちゃうでしょ。それまでの仕事とは切り離される。飽くまで外注の仕事なので納品したら無関係になるしさ。だから自分がいなくなった後のことは気にしないっていうのかな。そういう傾向が強くなりますよね理屈の上では。外注ってのはそんなものですよ。でも実際には契約の継続とかリピーターとかありますし、納品してから最悪なものだって顧客が気づいたときにリピートしてくれなくなるので、クソコードは書かない方が良いんですよ。でも顧客はリピートしなくなるだけで「リーダーだった○○が糞だったからだ!」とは言いに来ないので人事評価と関係ないのかなあ。でも部署の売り上げは減りそうだけど。そう考えるとアウトソーシングはクソコードの一因なのかなあって思ったりもしますよね。アウトソーシングにもメリットはありますけど。外の風を取り入れるとかさ。それにアウトソーシングしたとしても、発注した側がソースコードをレビューする力があればクソコードを残さないようにすることも可能かもしれませんが、レビューする能力がないと無理なんですよ。この業界は設計する能力だけあって製造する能力がない人って良くいるんですよ。それに結局のところ金がないんでしょう。クソコードを作り直すだけの金がない。だから検収でソースレビューとかしないのかな。管理職は管理職で考えることがあるらしいですけど。例えばあるプロジェクトのリーダーであれば、そのプロジェクトの成功を考えるでしょう。でも複数のプロジェクトを統括する立場であれば、プロジェクト間の調整とか資材の共有化で効率アップとか、そういうのを考えてるそうですよ。経営層は経営層で企業戦略とか考えてるわけでしょう。結局のところ能力不足でいっぱいいっぱいでクソコードなんて細かいところにまで考えが及ばないってのもあるんでしょう。もちろん経営層がクソコード 1 つ 1 つを気にする必要はないんですけども。方針を示せば良くて。適切な評価制度とか作れば良くて。でもまあ無理なんでしょうね。人事制度なんてのはクソコード以前のところで躓いてるんだから。課題が沢山あるからさ。男女雇用機会均等とかさ。育休とか。障碍者雇用とか。保育施設とかなんだとかかんだとか一杯あるんですよ。それらができてない。そうなるとクソコードまで考えるような評価制度とか体制作りとか無理なのかなあ。まあそんな感じですよ多分。ドラッカーとか PMBOK とか読むと良いんじゃないですか。俺は 1 ミリも読んだことないですけど。膿を出し切るって言葉を経済ニュースで良く聞きますけど。実際のところそういう面もありますから組織運営って。そうなるとクソコードは後回しって感じになってしまうのか、いや悲しいな。組織運営の基本として信賞必罰って良く聞きますし。つまり罰する必要がある人が世の中には多数いるんです。そうなると最早クソコード以前じゃないですか。すると寧ろクソコードがかわいく思えませんか。クソコードをもっと愛せればいいのに。俺は愛せませんけど。太閤検地みたいなのあれば良いのにな。ソースコード評価システムみたいな。無理だろうけど。