小説を読んでいると

非戦闘員は殺してはいけないけど戦闘員は殺しても良いみたいな謎の風潮を感じるんですけど、どうなんですか?作者が馬鹿なのか。それとも馬鹿な主人公を作者が描いているのか。

確かに現実社会で非戦闘員は殺してはいけないけど戦闘員は殺しても良いって話はありますよ。これは国際法に書いてあるらしい。それを根拠にファンタジー世界を作者が描いてるとしたら、ちょっと馬鹿なのかなって正直なところ思ってしまいます。

もちろん小説だからさ。直情的な主人公を描いたって良いし、倫理的に破綻した主人公を描いたって良いんですけど。だけど戦闘員を殺すことは道義的に間違ってないみたいな描き方をしてる作者っていませんか?本気でそう思ってるのかもしれませんけど。そのファンタジー世界は弱肉強食な世界で弱い者は殺されて当然なんだって世界なのかもしれませんけど。でもそれにしては人の温もりみたいなのを描くんだよなあ。辻褄が合ってないというかさ。戦国時代から江戸時代になって、綱吉将軍が生類憐みの令を出すまでは捨て子とかが多かったらしいじゃないですか。社会が荒れていた。そういう戦国時代に近いファンタジー世界を描いている割に温もりがある社会を描いてるというか。ファンタジーだからどうでもいいだろって作者は思ってるのかもですし、他の読者も気にしないのかもですけど俺はちょっとだけ気になってしまった。

なぜ人を殺してはいけないって話は前に書きました。俺としても完全には説明しきれないんですけど。なのでそこは深掘りしないで話を進めたいんですけど。とりあえず社会的な理由から人は殺してはいけないって前提で話を進めます。

そうすると、その社会的な理由に該当しない場合に殺しても良いって話になってくると思うんですよ、その弱肉強食なファンタジー世界において。そうなると殺人鬼を殺していいって話は分かります。人を殺すのを楽しんでるような人間ですし、しょうがないよね。強盗殺人犯もしょうがないでしょう。じゃあ戦争中の兵士を殺してもいいのか。相手は敵意を持ってこちらを殺そうとしている。だから殺してもいいか。この場合は殺さないと殺されてしまうから殺す。そういうことなんですよ。別に殺人鬼とか強盗殺人犯みたいに無分別に人を殺したり害したりする輩ではないわけですよ。つまり殺すことを積極的に支持する感じではなくて、容認している感じになるわけです。戦争に参加している兵士ってのは確かに敵国の兵士かもですけど、敵国の兵士だからって一枚岩の思想であるわけでもない。敵国の一員だから敵国の社会インフラを享受してるだろうけど。それでも戦争に踏み切った敵国の指導者層そのものではない。

現代社会で戦闘員を殺してもいいって決めているのは、道徳的には妥協の産物だと思いますよ。現実的に戦争ってのが起こってしまう限り殺し合うのは避けられない。だったら戦闘員は殺しても良いけど、非戦闘員は殺してはいけないことにしようって決めたんだと思います。それと戦闘員は殺しても良いものって話にしないと、味方の兵士を精神的に安定させられないってのもあるでしょうし。そうしないと殺してはいけないものを殺した人ってことになってしまうから。普通に殺したがりもいるかもしれませんけど。世界各地で起きてる紛争はそういう人達の受け皿でもあるのかもしれないですし。もちろん戦争そのものにも左右される話で侵略戦争よりかは防衛戦争の方が相手を殺すことに正当性があるでしょう。後は仲間が殺されたから相手に復讐心みたいなのもあるでしょうし。自分が殺さないと自分が殺されるし仲間が殺されるし、目の前の相手を殺すことが後方にいる家族を守るってのもありますし。国際法に従うとか諸外国との外交問題とかもあるでしょうし。

で、こういったことを考えるのが小説にどう生きるかって話になるんですけど。既に述べたように戦争で相手国の兵士を殺すのは割と後ろ向きな理由で、道義的には妥協の産物だと思ってます。だから何なんだよって思うかもしれませんが、これがファンタジー小説だと重要になる。何故なら主人公が超強いからです。人類を超越してる強さだからです。人類を超越している強さの主人公は、相手を殺さなくても自分が殺されるなんてことはまずないです。強過ぎるから。だから戦場に立つ個人としてやらなきゃやられるから殺したって理由は成立しない。そうなると主人公は何のために相手を殺すのかってことになります。傭兵だからか。防衛戦争だからか。自分が頑張らないと味方が殺されるからか。自分の国土にいる親しい人達を守れないからか。そういう理由になって来ると思うんですよ。そうなるとさ、戦争で死者が出るのは避けられないとしても、少ない被害で手早く終結させるってのが圧倒的強者の仕事ではないかと思うわけですよ俺は。好き放題に生きている主人公ではなくて、そこそこ道徳心がある主人公ならそうするべきでしょう。圧倒的な力を見せつけて相手を退かせる。ただ世紀末的な世界を舞台にしていて、定期的に戦争して血の気の荒い連中を間引かないと暴動が起こって大変みたいな理由があるのなら、それなら徹底的に殺しつくすのもやむを得ないのかもしれない。そう、飽くまでやむを得ない。支持ではなく容認です。いやガス抜きが目的の戦争であれば、主人公が介入しないのが適切な判断とも言えるかもしれない。

ここまで書いて何が言いたかったかっていうと、圧倒的な力を持つ存在が戦争だからといって相手国の雑魚兵士を一人残らず抹殺するのは、それは現代日本社会の倫理観に照らし合わせると、やっぱり異常者だろうってことですよ。はっきり言って殺人鬼ですよ。なんですけど妙に愛くるしい主人公みたいな描き方してるから、この作者はいったい何を描きたいんだ…って不思議に思うんです。バカなのかなって。ファンタジー世界の小説ではあるものの、現代日本社会から転生した主人公の話なんですよ。それでいて中庸な道徳観を持ち合わせていますと来たもんだ。じゃあなんで一人残らず殺すかな?って思うわけです。相手国の兵士が 1000 人いたとして、相手国の兵士が新生児だとします。何もできないですよね。寝っ転がってるしかできない。それを身長 2 メートル体重 100 キログラムの歴戦の兵士が戦争だからって皆殺しにしました。その小説が描いているのは、そういうことなんですよ。確かに実際の小説の描写は違う。相手国の兵士は 30 歳ぐらいのオッサン兵士で、主人公は 15 歳ぐらいの少年少女かもしれない。だけど力量差が新生児と歴戦の勇者ぐらいの差がある。それで相手国の兵士を皆殺しにするのは本当に道義的に妥当なのか、現代日本社会で中庸的な道徳観を持ってる主人公がする行動として。まあ作者もそこは指摘されると思ったのか、言い訳は用意してあるみたいなんですけど。転生した段階で記憶改変とか精神干渉があった、みたいな描写があったから。じゃあ作者がバカだったわけではなくて、その一行の描写で全て説明する気なのかな。現代日本社会の道徳観ではなくて、現地のファンタジー世界の道徳観に適合して馴染んだからなんですって。

確かに最終決戦みたいな場面ではなくて、総力戦の中の戦闘の 1 つであれば撤退されて情報を持ち帰られると困るから殲滅って考えもあると思います。それとか捕縛しようとしたら隠し兵器で暴れられるかもしれないから安全策で殲滅とか。でも、そういうのを考え出すとキリがないじゃないですかファンタジーですよ。死んだと見せかけて生き返るかもしれないですし、攻撃を受けた途端に自爆するかもしれないですし、事前に仕掛けて置いた時限爆弾の解除方法を知ってる奴を殺してしまうかもしれないし、そもそも敵の総数を把握できていないかもしれない。そういうことを考えだしたらキリがない。要は相手に隠し能力とかがあって、こちらを何らかの方法で出し抜く可能性があるから殲滅するって考えだと思うんですけど。それに裏切りとかもありますし。味方が裏切る可能性もあるし事前に埋伏の毒を仕込まれてたりするかもしれないでしょう。キリがないと思うな。要は主人公が活躍するのはラッキーだからって一言に尽きる訳で。だってそうじゃないと主人公が過去に知り合った人間が裏切るかもしれないでしょう。つまり本当に全ての存在を疑っているのであれば、敵とされる人間だけじゃなく、その辺で知り合う人間の全てを疑い続ける必要がある。主人公がラッキーなのは良いですよ、多少はそういうところがあるのはしょうがない主人公だし。でも行動基準に一貫性がないのは微妙ですよ。現実でも行動基準に一貫性がなくて気分次第で変わる人も多いかもしれませんが。そういう話じゃなくて、人を殺すか殺さないかってところでさえ気分次第で変わる主人公っぽい描写をちゃんとしてるかってところというか。確かにそういう一面もある主人公でしたけどね。でもその割には愛されキャラみたいな描写があるのが解せない。でも確かに気分次第で平気で人を殺すような心根を持ってても愛されキャラみたいに立ち回る人間ってのもいるか…。そういう主人公を描きたかったのかな。それを中庸な現代日本人って言うのが解せないけど。中庸な現代日本人ってそんなに殺人するんですか?俺の認識が間違ってるのかな。

主人公が激強のファンタジー作品で雑魚兵士は味方にも敵にもいるわけで、雑魚兵士と主人公には新生児とマッチョマンぐらいの力量差があるとして、主人公が敵の雑魚兵士を殲滅すると味方兵士に喜ばれます。何故って味方兵士に出る被害を抑えたからですよ。それだけの話というか。細かいことを言うと他にも色々とあると思うけど。でも作者がバカだから描写していないのか、それとも彼等がバカな登場人物だからなのか分からないですけど、実際に目の前で行われている事は虐殺です。新生児をマッチョマンが踏みつぶし続けるという虐殺です。それを見て、本当に味方兵士はありがとうございますって言うんでしょうか。確かに強い者への憧れとかあると思いますけど。復讐心だってあるでしょうし。プロパガンダしまくって相手は虐殺されるにふさわしいみたいな雰囲気が醸成されてる可能性もあるかもしれませんけど。世の中は荒れていて殺人が起きやすい状況なのかもですけど。そういうことなのかなあ。そういうファンタジー世界って世界最強みたいな人と一般人の力量差が、新生児とマッチョマン以上にあるから。そして世界全体で一般人 1,000 万人に対して最強マッチョマンレベルが 10 人とか、そういう世界なんですよ。そして最強マッチョマンに対抗できる兵器とかもない。そういう世界って最強マッチョマン 10 人の意向次第で弱肉強食の世の中にもなるし、平和な世の中にもなるんですよね。つまり、どういうことだ。そのファンタジー世界では国際法とかもあまり整備されてないし、捕虜交換などのシステムもなくて、敵は殲滅するのが是とされる世の中ってことなんでしょうか。うーん。微妙だなあ。だってやっぱりマッチョマンが新生児を踏み潰す光景を見た味方兵士は「これって虐殺だろ…」って感想を抱くんじゃないでしょうか。虐殺することで味方兵士の被害が 0 人に抑えられるけど、虐殺しないことで 1 人ぐらい出るということであれば、虐殺に正当性は出てきます。味方の被害を出さないようにするのは大事だと思いますし。でもどちらにせよ味方の被害がないのであれば捕縛を考える味方兵士もいても不思議じゃないと思うんですよ。でもそれを言えないんでしょう。だって主人公が強過ぎて平気で人を殺す恐ろしい人物だから。つまり勝つために自分が生き残るために敵には徹底して容赦しないドライな人間な訳ですよ。でも味方につければ活躍するし得だ。だから味方にしてる。主人公の周囲にそういう人間が寄って来てもおかしくないんだよな。でも主人公はラッキーだから、意味が分からないほどに良縁に恵まれる。そこがアンバランスでさ。本当に主人公ってのは理不尽の権化だな。読んでて作者が何を描きたいのか不思議でしょうがない。理不尽を描きたいんですかね。いっそのこと主人公が魔王とかなら納得できるんですよ。魔王だから虐殺したんだって。聖教国みたいな国が異教徒は殺せ民族浄化だとか言ってるのも、まあ納得できるかも。修羅の国が汚物は消毒だとか言ってるのも納得できるかもしれない。だけど多種多様な人種・民族によってなりたっている自由人の冒険者が数多存在する混成文化な国だからなあ。もっと色々な意見があって良い筈で。主人公の苛烈な行動に疑問を持つ人間はいるはずなんだよね。でも良く分からないのが繰り返しになるけど主人公の周りに寄って来るのが良い人ばかりなこと。そこが不思議で不思議で。