これを書かないと伝わらないか

観点が漏れてたかな。

子供向け正義のヒーロー戦隊ものってあるじゃないですか。あれは全く別なんですよ。彼等は世のため人のために活躍しようって素晴らしい志を持っていて活動してるじゃないですか基本的には。なので通常の人より圧倒的な力を持っていても、その力が振るわれることにあまり抵抗はないのですよ。彼等の敵は人じゃなくて悪のモンスターばかりだしさ。敵が人だった場合でも生かして捕らえることを優先するでしょう恐らく。そういうところが違うと思います。

でも逆でもいいんですよね。主人公が完全な悪党って描き方も俺は別にいいと思っていてさ。そういう作品はそういう作品でいいんです。主人公が悪党だから。そういうのは悪党の話ってことで腑に落ちます。

そうじゃなくて主人公が半ば常識人みたいな描かれ方をしていて、それで圧倒的な力を使って悪党を蹂躙していく、これが微妙なんですよ。主人公は正義感とか特に持ってなくて、世のため人の為とか特に思ってなくて個人主義なんですよ。だけど襲って来た盗賊団を全員ぶっ殺せば、商売人が安全に商売できるようにもなるし、盗賊が保管している宝も奪えるし、殺してしまえって感じで盗賊団を殺すわけですよ。これが微妙なんですよね。確かに世の為になってるかもなんですけど。

人間の大人同士お互いに武器を持っていても、蟻と人もしくはそれ以上の戦闘力の差がある世界というのはファンタジーなわけで、道徳観とか価値観とか社会構造とか本当に不思議なバランスで成り立ってるんだろうし、深く考えてもあまり意味はないとは思うんですが。読んでていて圧倒的な戦力差がある存在を蹂躙するというのは気持ちいいものではなくて。

俺はキリスト教は全く詳しくないので間違いだらけのことを言うかもですが、キリスト教って絶対的な力を持つ神様がいて、それってのは正義というか正しいことの象徴というか、それに従っていれば OK みたいな感じだと思うんですよ。天使も神様ほどではないにせよ強大な力を持っていて。逆に悪魔とかも描かれていて悪魔もまた強大な力を持っている。そういう感じで人よりも強大な力を持っている存在ってのは、善と悪の存在しかないんですよ、キリスト教では。俺の理解が間違ってなければ。それってのはそれが人々に受け入れられやすかったからだと思っています。

絶対的な力を持っている絶対的な善の存在が何か行動をしたら、それは絶対的に善なので人々は何も細かいことを考えなくて気にしなくて良いわけです。とにかく善行だと決まっているので。逆に悪の場合も然りで、悪行だと決まっているわけです。そうじゃなくて絶対的な力を持っていて通常の人間と同レベルの善悪レベルの存在が何かをしたなら、それは気にして考える対象になるわけですよ。圧倒的な力を持っているわけですし、世の中に世界に社会に自分に強烈に影響を与えますし。なので人はそこに自分の都合の良いものを期待するんだと思います。一般的には善性を期待するとは思うんですが。

俺は裕福な育ちではないので、権力者は相応の報酬をもらって相応の責任を負って世に貢献すべきだって思ってますので、基本的に共産党に投票してますし、力ある存在には善政を期待してます。力ある存在でも自由に生きたいと思うのは当然だと思いますし、悪いことではないのですが、俺はそれでも縛り付けるようなことを言いますよ。だって善政を敷いてくれないと貧乏人が困るからさ。

まあそれとはちょっと違うんですけど。昨日に書いたように圧倒的な力量差ってのが主眼なので。圧倒的な力量差があるってことは、俺が思うに人間同士って考え方がそもそも間違ってると思ってます。ただしファンタジーな世界の話なので、真面目に考えてもしょうがないんですけど。それでも一般的な大人 100 人 1000 人が束になってかかっても傷ひとつつけられない相手とか、人間じゃないだろって思うんですよ。そんな神にも等しいっていっちゃ大げさなんですけど、それぐらいの存在が人の社会の出来事に手を出すなよって思うわけです。手を出すんであれば遠慮しろよって思ってしまう。もしくは正義のヒーローにでもなれって思うわけです。そこそこの極悪人だとしても武装解除して人間社会の司法に任せるぐらいの干渉に抑えろよって思う。だって人間じゃないからさ。

そう考えると盗賊殺しのスレイヤーズのリナは何が違うんでしょうね。あれはそこまで嫌な感じを受けないんですけど。まず大きいのはギャグがあるからですよね。これでだいぶマイルドになります。後は普通に魔族とか出て来る世界だから。リナが活躍するフィールドは人間社会というより対魔族なんですよ。だからその旅の途中で盗賊を殺しても、そこまで気にならないのかな。魔導士として人の依頼を受けたりもしますけど。細かい描写とか全くないってのもありますか。でもラッキーマン物語(旅情編)の主人公は普通に人間社会の中で色々な行事に参加するんですよ。そこですよね人外が社会の中で人間のように動いていること、人間社会の出来事に干渉すること、そこに気持ち悪さを感じるんだろうな。スレイヤーズはそういうのはあまりないからなあ。描かれないだけかもだけど。ほとんど覚えてないってのもありますが。それとリナは同じところに留まらないんですよ。人間関係を築かないっていうか。あと俺が歳を取ったってのもあるんでしょうか。リナのカラっとした開けっ広げな性格もありますか。はっきりとは分かりませんが差し当たって思いつく違いはそれぐらいでしょうか。

そう考えるとあれですね。魔族とかモンスターって存在は、人の思考を遮断するようなパワーワードなんだろうなって思います。絶対的な悪って存在があれば、それに対抗する存在が善でなかったとしても、或る程度は受け入れられるようになるというか。

なんというか人間社会の機微の描写というか、なんだろうね、色々な問題が起きて解決に至る、そういったものってのは人間が行うから良いわけですよ。人外の干渉は立場によってはありがたくもあるんでしょうけど気に入らないわけです。人外は人間の意思を無視して行動してもあまりペナルティがない存在です。つまり人外が干渉すると人外の意思によって社会がほとんど決定されてしまう。読んでて面白みがない。それに気に入らない。社会の影で悪と戦う滅私奉公な正義のヒーローぐらいなら受け入れられるんですが。

そういうところなのかな。これはなかなか難しい話ですね。当然この記事だけじゃなくて、過去の関連記事を全て総合しての話ですが、俺以外は誰も頭に残ってないでしょうが。というか誰も読んでないか。