随分前に思ったことだけど

或る種の顔を公で売ってた人が、もうこれからはその顔として接しませんって言うってことはさ、要は引退したってことなんですよね。辞めたってことですよね。普通に考えればそうだと思うんですけど。人気稼業とかの話だとすると。辞めないで以前の顔も残しつつ、これからの顔でも接してくださいってのとは違うわけですよ。それだとこれからは新しい顔が増えましたよろしくって感じじゃないですか。でまあ辞めて新しい道に行くのも、共存するってのも別に良いんですよ。しかし辞めないで以前の顔を残しつつ、これからは新しい顔で接してくださいってのは、どうなんだって感じはしました。そんなに世の中ってのは、公の場の種類によってどんな顔と報酬で出演するんですよってのがきっちりしてるんですか。良く分かりません。昔の公の顔と完全に決別しないと昔の公の顔は消せないし(決別しても消せませんが)、新しい顔は昔の顔の上に塗られてるわけですけど、その両方の顔を業界関係者や視聴者に認めさせるだけの力量とかがないと成り立たない気がします。良く分かりませんがそれがあるってことなのかな。だって普通に考えれば昔の顔はもう無かったことにしたくて辞めたんですって言えば良いんだからさ。もうこれからは新しい顔でやってくのでって言えば良いのに。それだけで済むのに。なんで昔の顔は捨てたいけど辞めないって二足の草鞋を履くような話になってるのか良く分かりません。何か事情があるんでしょうか。たけしなんかは足立区のたけし世界の北野って番組があったようにお笑いと映画監督の両方の顔を普通に使ってるじゃないですか。昔の顔も捨てない今の顔もある。それが自然で普通だと思うんですけど。