こう書いてると人生に飽いたおっさんがなんか言ってるって思うかもですが

そうでもない。俺は読書家じゃないんだよ前にも言ったけど。そして一昨年の 8 月頃から昨年の 8 月頃までに俺は大体 4,000 万字ぐらい読書しました。長編物語を。新聞とか除いてね。これは俺の人生ではとても珍しいことで今までそんなことはなかった。これは明確に俺が本を書くという目的を持って読書を続けているからです。今までは暇な時間はゲームに費やすのが俺の生き方でした。

そしてこの 4,000 万字という数字は大して難しくない。2 時間で 10 万字というペースで本を読むとして、休みの日に 10 時間を費やせば 50 万字になります。休みの日を 100 日ほど費やせば 5,000 万字です。週休二日制であれば 1 年の 100 日以上は休日なので休日をフル活用できれば割と余裕で達成できます。

そしてこれは大人じゃなくても十分に可能で小学生でも達成可能だと思います。ちょっと漢字を読むのが辛いかもですが。だから読書家の中学生とかであれば既に俺と同じぐらいの読書量になっていて「あーまただよ、命を助けて絶対的に信頼できる仲間ができる、不治の病を治して世界一の美少女ヒロインが主人公に惚れる、めちゃめちゃ安易なやつだよ畜生ー」って言ってる人はかなりの確率でいるんじゃないかと思います。

いやね本を書く立場で考えるとね、主人公に信頼できる仲間を用意することを考えますと、主人公がターゲットの命を救うシナリオを書くのが最高に簡単なんですよ。だから安易だって思うわけです。

現実において人の命を救うのはとても尊いことだと思います。それは現実が現実的な確率で動いているからです。主人公補正なんてない。命が危険にさらされている現場に遭遇することは稀ですし、そこで勇気をだして行動を起こすことは大変です。

でも物語だと違うんですよ。主人公補正が掛かってるから。主人公は死なない。主人公は強い運命力で誰かが危険にさらされている状況に簡単に遭遇できる。主人公は傍目から見ると弱そうで勇気があるように見えるけど、実はめっちゃ強い。それに明確に作者の意図を感じる。そこまで読者として分かってしまっているので、尊いシーンとして見れないんですね、もはや俺は。

だからなんだろうね。敢えて誤解を招くようなことを言うと主人公には安易に人の命を救ってほしくないと思います。