色々と読んでて思うのは

最初に不幸な目に遭ってそこから逆転して行くってストーリー多いですよね。これは王道なのかな。基本的に主人公ってのはめちゃくちゃ運が良いわけですけど死線をいくつもかいくぐったりして。その運の良さの根拠を序盤の不幸に設定するというか。

やはり主人公というのはそこそこ性格が良くないと困るんですよね。性格が悪いと読んでて不快になるというか。少し悪めの主人公であっても最低限の常識というかハムラビ法典ぐらいの骨格の性格は持ってるというか。そして性格の良さの描写ってのは世の中に対する還元的な行動で表せるし、またそれによって超絶的な運の良さを正当化するというか。

主人公は「そんな確率で助かる?そんなタイミングで助けが現れる?」って感じの数々の有り得ない偶然に助けられるわけですよ、そうしないと話が盛り上がらないからさ。話を盛り上げるためにそういう描写をする。定番過ぎるんですが。そうなると単なるラッキーマンになってしまうわけで。そこに普段の努力・苦労の描写や理屈などを添えて存在を正当化するわけですけど、それに加えて序盤の不幸があると運命の天秤の釣り合い的にその後の幸運の根拠になるっていうか。読者に納得感を与えるんですよね。後はその主人公の性格が苦労人になるんですよ。

異世界転生物なんて最初に交通事故という不幸に遭って転生するところから始まったりするので、クソほど安直だったりしますし。でもシンプルで分かりやすいとは思います。小学生では厳しいかもですが中学生ぐらいなら十分に分かるのかな。まあ幼稚園児でも桃太郎ぐらい理解できますし。小学生でも大丈夫かもしれませんが。

そういうのばっかり読んでると、不幸に遭った人間は幸運に恵まれる権利があるとでも言うのか?って疑問に思ってしまいます。いや分かるんですよ。だけど何度も同じ論理のものを読まされると飽きるし反発したくなってくる。

後はさあ暗躍系の描写は多いですね。本人は目立ちたくないけど勝手に目立ってしまって担ぎ上げられていくって感じですか。そういうの多いな。俺が子供の頃は正義のヒーローみたいなのが主人公ってのが多かったから、今はそういう一般人的な小市民的な精神の主人公が才能と努力と幸運で目立っていってしまうって流れが多くなったのかな。

そして異常なまでの幸運に恵まれた主人公達はそれを振り返ることはない。自分が異常に幸運だとか本の主人公なんじゃないかとかつぶやく描写はないし、あったとしてもほんの少しだけだ。読者がそんな冗長な描写を望まないから。それが本というものなのだと思います。