うつ病の人に「頑張れ」と言ってはいけないという話は

20 年ぐらい前から言われ始めたんでしたっけ。そういうものかと特に何も考えずに受け入れた気がしますが、良く考えると変な話だなとは思います。と言いますのも俺は「頑張れ」と言われても嫌な気がしないという、鬱と診断された人を知ってるからです。俺の理解ではうつ病というのは、脳がガス欠になる病気だと思ってます。だから色々とできなくなるわけですよ。人間の身体は脳からの信号で動いてるので、脳がガス欠になると動かせない。だから動けなくなる。それに脳がガス欠になると考えるのも嫌になるので考えなくなる。話しかけられたりして対応するのも嫌になる。そういうことだと思っています。脳がガス欠になるってどういうことだって言うと、当然ですが脳はガソリンで動いているわけではないんですが、脳にとってのガソリン的なものが足りなくなってる状態ってことです。比喩です。かといってブドウ糖の事を言ってるわけではないです。何の物質かは知りません。良く処方される薬はセロトニンとかノルアドレナリンを増やすようなのがあると思いますが、別にそれに話を限定しないです。兎に角何らかの物質ですよ。俺は医者でも科学者でもないので、その物質が何かを特定する必要もないので。それを特定しないと話が出来ないわけでもないですし。単一の物質なのか複数の物質なのかもわかりません。その話は割とどうでもよくて、頑張れと言ってはいけないのかって話ですよね。基本的にケースバイケースだと思うんですよ。だけど昔にマスコミが中心となってだったか、頑張れと言っちゃいけないって画一的に話を広めたんですね。その画一化されてしまったことについて、細部を深掘りしていきたいと思うんですが、凄い単純な話として人って何回も同じことを言われると嫌だと思うんです。これってほとんど当たり前だと思うんですね。状況にもよるとは思いますけど。色々な人からうつ病ってことを知られて、頑張れーとか言われ続けたら、そりゃ対応が面倒にもなってくると思うんですよ。個人個人の人好きの度合いや状況とか重症度とか色々あるとは思いますが。それで画一化されてるので、要はそうやって言われ続けてるみたいな前提があると思うんです。だから「頑張れ」と言っちゃいけないんだって、そういう話になる。そういう観点が 1 つですね。後は「頑張れ」って言葉は、解釈が広いと思うんですが、一部の人間ってのはとにかくナイーブで、何を言っても悲観的な解釈をするんですね。頑張れという言葉に限らずなんでもそうなんですよ。そういう人には話しかけないのが一番です。関わらないこと。そういう存在もいるってことですね。それは別に鬱病とか関係ない筈です。別の頭の病気だと思います。後さ「頑張れ」ってのは解釈が広いって言いましたけど、確かに直訳すれば Go! Go! みたいに活動を煽る感じになるんですけど、もうちょっと幅広く解釈すると「応援してますー」ぐらいの柔らかい意味でもあると俺は思ってます。「頑張れ」って主語も目的語もないじゃないですか。誰が何をどう頑張るのか何も言ってないんです。そうすると、その意味を削っていくと、私はあなたのサポーターですー、ぐらいのポジティブな感情の意味しか残らないというかね。俺はそう理解してますけどね。ただ、その理解に至らない人もいるみたいで「頑張れ」って言われると活動を煽られると思ってプレッシャーを感じるらしいんですね、そういう人は。小さい頃に「頑張れ」とか言われてトラウマがあったりするのか。そういうのは鬱病とか関係がないと思うんですね、ガンバレワードシンドロームとかじゃないですかね。鬱病とは別の病気じゃないかと思います。前述したナイーブな人と似てますけど、こちらはより「頑張れ」という言葉に限定された病気だと思います。そんな感じですかね。要は基本的には、特異な人達と、言われ続けて嫌になった人達、そういう感じだと思ってます。ただでさえ言われ続けたら嫌になりますが、鬱病の人は特に脳がガス欠なので嫌になりやすいということですね。なので「頑張れ」が罪悪なのかというと、そうでもないと思うんですよ。ただそれを特異な言語感覚を持ってる人達の存在が話をこじらせてるだけだと思ってて。別に言われても問題ない人達もいるのにってね。逆に私は鬱病の理解者ですって言って「頑張らないで」とか言い出す人達も登場したじゃないですか。まあ確かに鬱病が脳のガス欠であれば、活動を抑えた方がいいって意味では「頑張らないで」と言った方がいいのかもしれないとは思いますけどね。それこそ余計なお世話だと俺は思いますけどね…。鬱病は俺が思うに脳のガス欠なので、一番の原因は食事と運動だと思ってますけどね。特に食事。鬱病に関しては食事で一番大事なのは肉だと思います。脳内物質はアミノ酸がバンバン使われてるって話なので、肉を食べることですよ。脳のエネルギー源はブドウ糖だからって糖分補給とか言い出す人がいるじゃないですか。ちょっとアホかなって俺は個人的には思ってて。ある意味で正解なのかもですけどね。エネルギー源がブドウ糖でも、脳ってブドウ糖だけで動いてないでしょう。色々な脳内物質を作ってて、それってアミノ酸とかタンパク質を沢山使ってるでしょう。だからブドウ糖だけ補給すりゃいいってことはないと思うんです。たんぱく質も絶対に必要だと思います。まあそりゃどうでも良いんですけど。鬱病が脳のガス欠だって仮定がそもそも間違ってるって話もあるかもですけどね。そんなことはどうでもいいんですけど。俺は科学者でも医者でもないですから。後さあ。あれですよ。「頑張れ」って言われて嫌になるって人は、基本的に言われ続ける傾向にあると思うんです。どんな人が言われ続けるかって言うと、多くの人と関わりを持って、そういう言葉を掛けられやすい魅力的な人間ですよね。つまりリア充って言葉がお似合いですよ。リア充鬱病の人は「頑張れ」という言葉を疎ましく思ってる可能性が高い。では引きこもりがちな非リア充はどうかというと、そんな言葉はかけてもらえないわけです。そうすると美少女の看護婦さんに「頑張れ」と言われたら嬉しくてたまらないでしょう。そういうことですよ。リア充が非リアのことを考えず、自分達だけが生きやすいように「頑張れ言っちゃいけない論」を広めた、そういう陰謀めいたことである可能性も無きにしも非ずな訳ですよ。後はあれですね。時間がないから後に追記しますか。「頑張れ」って言葉は心の距離が少し近いというか。仕事の業務的な話は心の距離は遠いんですが、「頑張れ」だと親愛の情みたいなのが少し籠ってるので、それはそれで嫌だというのはあると思います。言われて嬉しい人もいるけど、お前に言われるのは気持ち悪いってのはあるかとは思いますね。立場上、なんらかのつながりがあれば、そのつながりからの形式的なものという理解に落とし込むこともできますが、たとえば上司と部下とか、そういったものもほとんど無い場合は純粋な親愛の情みたいなものになるので、相手によるわけですよ。後は鬱病という診断がそもそも適切なのかってのもあるんですよね。鬱病ってそもそも何ってところから。鬱病の診断ってさ、なんつーか、統計みたいな手法で診断するんですよ。それってめっちゃいい加減なんですよね。そこがそもそもの問題ってのもありますね。だから取り敢えず「頑張れ」言うなみたいな。それとか併発って言うのかな。「頑張れ」苦手な人が鬱病になるとか。そういう相関性も良く分からないですよね。なんかあるんですかね。まあとにかく一概に言えることではないのは確かで。いい加減な話なんですよね。後は頑張れって言葉も言い方があって、スパルタ先生が「頑張れ!」って圧を込めて言うのと、遠くから黄色い声で女子高校生が「ガンバレ~」って言ってるのとじゃ違うんですよね。前者は俺も嫌ですよ。