前回の記事を見て

なんて自分勝手な奴なんだ!とか思った人いるんですかね。多少はいてもおかしくはないのかなあって思ってるけど。個々人の資質とか気質とか理解力の差とかあるとは思いますけどね。何の統計も見てない単なる俺の想像なんですけど、本当に本能的なレベルで周囲の人間を楽しませたいって思ってる人間というのは、多く見ても男性で 50 % 女性で 80 % ぐらいかなって思ってますよ。実際もっと少ないと思うんですけどね。本能的なレベルで楽しませたいって言うのは、どういう意味かって言うと、これも俺の勝手な理解ですが人を楽しませることで報酬系の脳内物質がドバドバ出る人。そういう意味ですね。基本的にはそれだけでいいのかなあ。この基本に加えて、次のようなことも実際の行動には影響しますよね。人を楽しませることの反作用でその人の気質的に逆の嫌な事象が起きないこととか。例えば目立つのが嫌いじゃないとか。それとか人の好き嫌いがないとか、人の好き嫌いを「楽しい」が超越しているとか。まあ他にも色々とあると思うんですけどたぶん。そして実際の行動にそれが現れるには面白いことをドンドン思いつく頭の良さが必要で。そうなるとそれが行動に現れる人がどんどん減りますよね。

この本能的なレベルで人を楽しませたいわけではないのに人を楽しませようとしている人というのが、前回の記事でも書いたような金、異性、名誉、コネなどなど、そういった別のものを満たそうとする人達で。

それとさこれは全く違うんですけど、話すことが好きな人間ってのが世の中にはいるんですね。逆にそうじゃない人っているのって思う人もいるんでしょうけど。このタイプの人ってのはとにかく自分が喋りたいわけですよ。それは別に人を楽しませたいわけではなくて、自分が喋りたいだけなわけです。そしてその人の話が面白かったとしても、その人は別に人を楽しませたいわけではなくて、自分が楽しいから喋ってるってことなんですね。仮令そうだったとしても、聞いてる方が楽しいんだったらそれでいいだろって思うとは思います。そういう話をしているんじゃないです。この話の流れでそこに突っ込みを入れるのは良くないですね。

もちろん人間はそんなに単純じゃないので、どれか 1 つの理由で喋っているわけではなくて、色々と複合された要因で喋ったりしてるわけですけど。そしてその要因の各々の 1 つ 1 つの強弱がまた人それぞれで違ってくる。そういうもんですよね。俺はそう理解していますよ。

だからなんでしょうか。俺は前回の記事でわがままって言葉を使いましたけど、あれは人間に対して言っているんです。いや生き物かな。俺が自虐して自分のことをわがままって言っているように見えましたか?そういう風に見えるようにも書いた。でも実際には違うんですよね。わがままなところが全くない生き物なんて生き物らしくもない。それをしっかりと自覚している人間が書いたのが前回の記事ってことです。自覚しているってことは或る程度は制御が効くってことでもあります。だから俺は今年に入ってまだ風俗サービスを全く受けていません。

人を楽しませたいという純粋な脳内物質レベルでの思いというのは、純粋な善のように思ってしまうかもしれませんが、そうでもないんですよ。仮に世の中に人に楽しまされたくないって人が存在しているとしましょう。仮にです。そしたら人を楽しませたいって人は、その人の前では物凄く嫌な存在でしかないんです。

要は一言で言えば相性だと思いますよ。俺と合うか合わないかなんて。まあ合う人は少ないと思いますけどね。それも状況や関係次第ですし。恋愛、家族、仕事、趣味、色々とありますけどね。特定の関係でのみ上手く行く人もいるでしょう。

それとこれは何というか科学の話というか、哲学の話というか、これ以上こねくり回してもしょうがない蛇足なんですけど、人を楽しませることで脳内物質の報酬が出る人はですよ、人を楽しませることで自分が気持ちよくなってるわけですよ。それって結局は自分が気持ちよくなるためにやってるとも言えます。それが善かって話もある。まあそんなことはどうでもいいんですけどね。人が楽しくて自分も楽しい、そうなれる人は端から見れば善人なことに変わりはないですから。

報酬系の脳内物質が出るとか書いたけど、詳しいことは全く知りません。逆に不快系の脳内物質が止まるって考え方もありかもしれません。その辺りは上手いこと補正して読んでいただければと思います。