絵に描いた餅

みたいに思うかも知れません。昨夜の記事の戦時経済とか。まあそれでもいいんですよ。俺はあれがあるべき形だと思ってます。つまりアレを提示することで理想形を示せるわけです。人によって理想は違いますが、俺は感染症に対応するには理想的な形だと思っています。それで結局あの状態にするというのは、平時経済の時間を止めると言って良いことなんですけども、時間を止めるってことは損する人が誰もいないはずですが、実際には時間は止まっていないので損をすることもあります。たとえば不動産は時間が経つと劣化しますし、人は歳をとります。歳をとるってことは自由な時間を奪われてるわけですから損しますし、本来ならば働いてお金を貯めることができたわけですから損はしてるわけです。損はあるんですよ。でも時間を止めるという普遍的な基準で皆に損してもらうので公平感はあると思います。何か後々に微調整することもできますしね。それと経済的に良いこともあるんですよ。平時にはできなかったことができるようになるんです。たとえば配達員の確保が容易になりますし、平時には絶対にできないと思われていたインフラ整備などもできるかもしれません。原則的に人は家に籠っていて欲しいという事態ですので、家の中でできる仕事が主になりますが、水道管の工事とか物凄く喫緊の課題ですけど、もしかしたらそういうところに人員を割けるようになるかもしれないです。給料は国が出す感じで。

そういうところを理想と考えますと、平時経済のままで何か対応するとしたら誰がどう損をしたらいいのか、はっきりしてくるかと思うんですよね。基本的に皆が損をする必要があるんですけど、金持ちはどちらかというと多めに損をするのが必然なのではないかって思えると思います。

絵にかいた餅にも使い道はあるってことですね。食べれないよって批判は意味がない。当たり前です。見せるためのものですからね。