たぶん何度も同じこと書いたんだけど

仕事と試験ってのは違うんだよなあ。例えば立派な竿と糸があってさ鮪を手に入れてって言われたとするじゃないですか。そこが仮に試験会場だっとしましょう。そしたら試験を受けに来た人は与えられた道具と会場で鮪を釣るわけですよ。それが試験ってやつでしょ。あらかじめ答えが決まっていて、手段とかヒントも用意されていて、その中でどういった振る舞いをするのか。そうやって人を試すのが試験なわけだ。仕事ってのは違うのよ。仕事ってのは鮪を手に入れるという目的のためならなんでもしていいんだよな。社会的に許される範囲で。マグロ漁船があれば使って良いし、延縄みたいなのも使って良いし、あるいは既に釣り上げてある鮪を買っても良い。これが仕事な。もちろん与えられた釣り竿とかを使って与えられた環境で鮪を釣っても良いんだ。この違いは分かるよね。決定的に違うんだ。では仕事の中で内密に人を試すということをしている人がいたとします。この試験官にはどれだけの実力が求められると思いますか?もし試験官が延縄やマグロ漁船や卸売市場について無知であったとして、釣り竿と会場を与えて鮪を入手して来いって試される人に仕事として試験であることはばれないように頼んだとします。まともな試験ができると思いますか?できないでしょ。そんなことを言われた試される人はやる気なくします。こいつ何を言ってやがんだって思うだけです。仕事ってのは無駄に限られた環境で行う必要性はまったくないんだよ。試験であれば試験だと最初から言うべき。これは試験だと言った上で、この限られた環境で答えを見つけ出す方法があるので、なんとか見つけて見せろと。そうじゃないと試験官以上の実力者を試験することなどできない。何度も何度も同じことを言ったと思うけど。バカみたいな仕事を振ってきやがったって試験官の馬鹿さ加減にやる気をなくすだけだから。やる気がない人間の評価などできるわけないよな。もちろん試験官がバカなことを言ってると思った時点で提案をすると思うんですよ。だけどまともに仕事をしてるわけじゃない試験官は案を蹴るわけだよ。それじゃ困るって。合理的な理由もつけずに。そこではっきりやる気を無くすと思う。そこまで過激なことは言ってないはず。

それに試験に強い人間と仕事に強い人間ってのはいると思うんだよ。試験に強くなるには試験問題に強くなればいいわけ。試験問題に関する知識が頭にあれば良いの。逆に試験問題に関係ない知識は邪魔なぐらいだ。邪魔な知識がなければそれだけ思考がシンプルになって答えにたどり着く時間が早くなる。だから子供が大人より答えにたどり着くのが早いというのはざらにあるわけだよ。だけど多くを知ってる人間は他にも可能性をたくさん考えてしまうわけだよ。与えられた仕事内容にもよると思うけど。無駄に手足を縛られるような環境で仕事しろという不自然な仕事もどきをさせられたら、そりゃ人を正しく評価することなんてできやしない。