書きたくはなかったんですが

普通に不安に思ったので書きました。結末の一つとして内戦もありうると思って。ただそうなる確率は低いと思っています。杞憂だとは思います。それでも可能性としてはあるかと思い不安になったから書いたということです。

それをどうこうしたいとか特には言ってないつもりですが。ただ歴史に学びたいとは思ってはいますね。個人的には。きっと関係各位それぞれがそれぞれの思いで動いてなるようになるんでしょうな。一般の民衆、公安、本人、後輩、応援団などなど。支持派も反対派も。それが民主主義なんでしょう。どうなるかわかりませんが、その結果を受け入れるしかないでしょうな。俺みたいな社会の末端の一部が何を思っても関係ないわけだしなあ。関係ないと思いつつ書きませんけども。書かないことを望まれている気がするのでね。色々と思い浮かぶことは未だあるんですがね。

きっと民主主義って言葉も将来的には定義し直されるだろうなあ…。なぜって遺伝子操作の時代に入れば遺伝子操作された人間の社会が出来上がるでしょ。そうなったら民主主義ってのは或る程度は操作された世界になるんだよ。自然な確率で生まれた人間の民主主義とは異質なものだ。遺伝子操作で穏健な人間ばかり生まれるようにして出来あがった社会では民主主義の結果として穏健な社会を作りあげることは必然だし、逆もまた然りだ。つまり民主主義の結果は多数決する前から或る程度は決まっている。しかし今の真に乱数で生まれてくる人間達が作り出す民主主義はどうなるかわかったもんじゃない。正に運否天賦だよ。だから遺伝子操作後の民主主義と今の時代の民主主義は区別されるだろうなって俺は思う。運否天賦主義とかな。いやただの夢かな…。

ただ俺はその民主主義の外側にいるってことですな。心情を吐露する権利もはく奪されてしまいました。残念ですな。誰かの描く夢の邪魔をしないように。