前にも言った気がするけど

自分が飼ってる動物が不治の病とかになって 100 億円の治療費が必要になりました。あなたはどうしますかって問いがあるわけです。払えるわけない。俺なら見捨てる。じゃあ俺はその可愛がってる愛猫を愛していなかったのかって言うと、どうなんだって話になってさ。愛ってのは人それぞれでさ。同じ愛って単語を口にしていながら違う意味だったりする。俺は猫に愛情を注いでいたよって言ったとして、100 億円を払えないから見捨てるって事実がその後にあって、あなたは猫を愛していたんですかって言われて、どうなりますか。100 億円の為に見捨てるのが愛情なわけがない、あなたは嘘つきですねって話になりますし、100 億円は払えるわけがない、あなたは運が悪かった間違ってないって人もいるでしょう。俺は考えてしまうんですよ、そういうことを。少なくとも猫のサブスクはそういった煩わしさから飼い主を解放する可能性があると俺は思いました。可能性であって絶対ではないですが。

後は安易に動物を飼うべきではないとも思っているとも書きました。盲導犬とかの特定の用途であればともかく、愛玩用はなるべく慎むべきだと。ただ盲導犬が人間を助けるように愛玩動物が人間の心を助ける可能性もあるので、そういった人が飼えばいいのではないかってそう思っています。

それでいて俺は犬猫を飼うような少女が好きだとも書きました。なぜってそこに優しさを感じるからですよ。優しい女性が好きだと書きましたが。少女が純粋に犬猫が可愛くて飼いたいって思う心ってのは母性にも近いと思って。きっと虐待なんかしない優しい母になるんだろうなあって思ったりするわけです。人ではない野獣にも注げる類の分け隔てない愛情。俺が考えてしまうようなことを一蹴するような傲慢さというか豪胆さ。不治の病なんて運が悪いだけだって切って捨てるような勢い。無知と純粋さ、もしくはそこまで知恵が回らず目の前の可愛い動物を前にして頭がいっぱいになってるところ。嘘がなさそうな笑顔、愛情、わがまま、泣き顔。或いはそういった不幸が絶対に起こらない希望に満ちた未来を予感させる神にも愛されてるような神秘性。そこに俺は夢を見てしまうわけだ。実際の子供は 10 歳にもなればそこそこ知恵が回って芝居ぐらいすることは分かってるのにな。そしてそんな子が将来的に何事もなく飼い犬猫と幸せに過ごすかもしれないし、何か不幸な目に遭ってどん底に陥るかもしれない。でもそこもまた俺は見たいんだろうね。幸せになるのも不幸になるのも。あまり不幸になるのは見たくないけど。彼女たちの心に傷を負わせて、力強く成長する様を見たいんだろう。そして俺は自分の手を汚したくない。俺自身が動物を飼うなんて決断はしたくないんだ。

だけどサブスクシステムはそういったことに風穴を空ける可能性があるでしょう。だから着眼点は悪くないと言った。俺は別に動物を飼うことについて国が規制しても良いぐらいだって思ってるからね。免許制にしてもさ。動物を飼うことについて自由なんて要らないよ。サブスクシステムはそういった面でも良い。人間が動物を飼うことを管理できるから。