良く知らないけど

見てもいない番組についてあーだこーだ言うのもどうかと思いつつ、これも俺の大事な作業なので書きます。こういうことを細かく考える癖をつけると本を書くときに役立つからさ。M-1 グランプリってのは全国ネットの番組なんでしょう。たぶん。若手漫才師のナンバー1を決める番組なんですか。なんなんですか。漫才の本場って俺のイメージでは大阪なんですよね。大阪には浅草みたいな劇場みたいなところがあって、そこで漫才してる人達がいるイメージですよ。合ってますか。そこに通い詰める目の肥えた人達に見てもらえば間違いないんじゃねえのって個人的には思うわけですよ。でも敢えてテレビでやってるじゃないですか、それも全国ネットでしょう。ただの漫才ナンバー1じゃない気がするんですよね。テレビだし視聴率は気にするでしょうし、視聴者が漫才に対して理解が強くないと思うんです。漫才じゃなくて笑いを求めてると思ってます勝手に。そうなるとさ漫才って尺度だけで審査する人達で審査員を構成しちゃうとさ、番組的に失敗なんじゃないかって俺は思うわけですよ。若手漫才師のナンバー1を選ぶのが番組の目的ではないから。興行収入的な成功のが大事なはずで。だからより厳格な漫才師としての評価とか後回しだと思うんですよね。それがやりたかったら大阪の劇場でやればいいだろって話になって終りなので。もう既に何十年も前からできてるよねって感じじゃないですか。もちろん番組の目的が本物の漫才を日本全国に知らしめたいんだってのがあるんであれば、別により厳格に漫才しても漫才評価してもいいんですけど、そうなると全国ネットテレビじゃなくてニコニコ動画とかでやった方が良いって話にもなってくるじゃないですか。専門性が高くなりすぎると全国ネットのゴールデンタイムは使いにくいでしょう。でまあ主軸を漫才というより笑いってところにシフトした評価軸にすべきだよねって話になってさ。それでまあ笑いを公正に評価するってのも難しいじゃないですか。公正な笑いってのもないですし。そんなものがあったら大変なことになるから。いま私は笑えることを言いましたけど、笑わないのは何故ですか?みたいな話になって来てしまう。そんなのは考えられないですよ。

話が変わるけど笑いの理論は少しはできてるらしくてさ。笑いってのは笑いやすい雰囲気を作るところから始めるのが良いらしい。ツカミってやつだね。最初にジャブ的な小ネタで一笑を得て、それから本来の大きなネタに入ると良いらしい。ってことはさ、番組スタッフだってそれを分かっているはずでさ。そういった配慮を番組スタッフ側が出演者にするんじゃないかと思うんですよ。最初にスタッフが出演者にツカミをすると。うちは公正さをウリにしてる番組なんでって説明もするでしょうし。判定基準はこんな感じでって番組側が或る程度は求めるし、公開したりすると思うんですけど、そういうの絶対にやってないと思うんですよ。たぶん白ける人も出て来るだろうから。つまり番組として公正さを求めていなくて、出演者に丸投げしてると思うんですよ。全て俺の想像で書いてるけどな。だから流れるツイート見て意味ないなーって思うんだよ。

コース料理だって料理が出て来る順が決まっているでしょう。そんなの分かりますよね。味の薄い料理が先に出て来て段々と味が濃くなっていくわけですよ。舌が慣れて味を感じられなくならないようにさ。それに飛行機内では味付けが変わるんですよ。気圧が低いと舌の感度が変わってしまうらしくて、機内料理は地上の料理とは味付けを変えるんだって。人間の感性ってそんなものですよ。料理にさえそんな気まぐれな人間が笑いに対して厳格な審査なんてできるわけないんですよ。出て来る料理の順番で面白さが変わるんだから。それを公正に審査しようとすれば、ネタの上手い下手で審査することになる。そうなると最早それは面白い面白くないの判断ではないんだよ。上手いか下手かを審査したいなら、それでいいんですけど。それで視聴者がどれだけついてくるか。そういう審査員を一人ぐらい用意しておいた方がいいかなってぐらいですよね。