道徳授業の教科化

採点をする様になるかも知れないって話。どうかね…。流石に採点は拙くないか…。「何が正しいか」なんて大きな話は流石に押し付けるのは拙い気がするけど…。仮に採点するんであれば考え方を最低でも 2 つは提示した方が良いと思うよ。例えば仏教と朱子学の両方で同じ様なテーマを毎回の授業で扱って、仏教的にはこういう風に考えるけど、朱子学ではこういう風に考えます、って言うのを教える。そしてテストでは仏教ではどういう風に考えますか、朱子学ではどういう風に考えますか、あなた個人はどんな風に考えますか、って形式の論述系の問いにする。そして仏教と朱子学に関しては○と×で採点して、個人の考え方に就いては記述してあれば○で空白だと×にする…ぐらいにする。それとユダヤ教キリスト教イスラム教…を題材にするのは個人的には勘弁してくれって思う…。そして余りにも危険な思想傾向が見られる場合は仏教の先生とかを呼んで面談すれば良い。例えば人を殺したくて堪らないんですとか人の肉を食べたいですとか…そういうのは流石にヤバ過ぎるんで、面談の必要があると思う。自由主義の傾向や集団主義の傾向に就いては面談で補正するのはやり過ぎな気がするんだよな…。確かに金金金金って言ってる奴は俺は個人的に嫌いなんだけど、それでも教育で無理矢理にどうしようってのはやり過ぎかも…って思えるんだよなあ…。俺は道徳って言うのは基本的には暗黙知を作る為に有効なんじゃないかなあって思ってるんだけど。だから「桃太郎」とか、そういう分かりやすい童話を読み聞かせたりするのが良いんじゃないかなあって思ってるんですよね。そうなると幼稚園児の頃の話になっちゃうか。日本の童話に拘らずに、海外の色が強過ぎ無ければ海外の童話でも良いと思うんですよ。「3 匹の子豚」とか。「嘘をつく子供」とか。「蟻とキリギリス」とか。「桃太郎」には勧善懲悪・人助けをすると自分に良い事が返って来る事もある・差別とかせずに色々な仲間と協力する…ってテーマがある。「3 匹の子豚」は知恵を出して石橋を叩いて渡った者が生き残れる…ってテーマがある。「嘘をつく子供」は嘘を吐くと信用を失う…ってテーマがある。「蟻とキリギリス」は怠け者は後で辛い思いをする…ってテーマがある。そういうテーマの分かり易い物語は子供の内に読み聞かせたいよな…って思うのは俺だけか…。そうなんだよなあ、道徳ってのは家庭での影響が大きいんだよな…。最近の親はちょっとオバカだからねえ…。そろそろ学校教育で何とかしなきゃダメなんかねえ…。グローバリズムが恐いしな…。