最近はそういう話題が多いな。単なる偶然なんですけど。偶然そういう記事を見かけたりして、そういうことを思いついて書いてしまった。まあ俺が見ている記事にそういうジャンルが多いのかもしれませんが。
しかし昨日の記事は自分という個を殺せ、利用し合って全体に奉仕しろ、ってことを書きましたけど、これって古い考えだよなあって少し思って。全体主義的じゃないですか。でもこの考え方はこの考え方で間違ってるわけでもないと思っていて。過度なのは良くないんですけど。
他人を利用する、利用しなくてはならないことについて、俺は昨日の記事では自分が失敗すると、自分と関わっている組織に迷惑が掛かるから積極的に他人を利用して成功するべきであるって言う論法になってました。この考え方って日本人的ですよね。たぶんなんですけど欧米先進各国はキリスト教が国教になってるから、恐らく他人を利用することについてキリスト教レベルで説明できるんだと思います。利他の精神みたいなのをキリスト教という宗教の教えとして幼少期から学ぶわけじゃないですか。国家レベルで。そうなると自分が所属している国や地域や会社の構成員も皆がキリスト教の信者であって、そういった利他の精神を学び合っている間柄だから、お互いに協力し合うってことについて組織益みたいなものを度外視しても成立するわけですよ。この違いは大きいなあって思いました。つまり日本では、組織に迷惑が掛かるからお互いに積極的に協力し合えという論法になるけど、欧米では主の教え通り協力し合うべきじゃないかって理由だけで協力し合えるので、日本は協力し合う社会を作ろうとすると副作用で全体主義的になってしまうんじゃないですかね。っていうのをちょっと思ったんですよ。だけど今の日本では宗教の代わりに戦前の失敗を義務教育で恐らく学んでいるので、それが宗教に近い効果があるんだと思います。全体主義はいかんよ、と。なので日本での個の尊重みたいなのは欧米より遅れているのは当然なのかなって思います。でもまあ少しずつ進んで来てると思いますよ。日本では協力し合うことについて、組織益をベースに語る必要があって(恐らく他にも論法はあるでしょうけど)、そういったことから個の尊重について一段レベルダウンしたところからスタートするんだけど、その上で覆いかぶせるように個の尊重を教育していって、協力し合う考え方と個の尊重ってのを両立させる必要があるってことですか。これは欧米より難儀しそうですよね。組織のために協力し合うんだよ、個よりも全体最適だよって言いつつ、その上で個は尊重しないといけません、って難しいなあ。