もう書く気分でもなくなったんですが、続きを書くべきな気もするので書こうと思います。前回は軽はずみに「辛い」みたいな意味で「死にたい」と発する人を良く見かけるという話でしたが、次は何を書こうか。色々な切り口がある話題で。でも思い浮かんでは直ぐに忘れるので。
病み垢っていうジャンルがあるらしんですよね。そういう垢は「死にたい」とか良く言ってるんですよ。まあ死なないんですけどね。病み垢って何なんだって言うと、俺も良く分かりませんけど鬱病とか何らかの精神病を持ってる人達とか、無気力で世の中をあきらめている人達とか、そんな感じなのかなあ。そういうジャンルだと思うんですけど、でも「ジャンル」って分け方だとそうなのかもですけど、そこにいる人達にはバラエティがあって。テレビとかでニュースになりますけど本当に自殺する人というのはいます。ただ自殺しない人のが圧倒的に多い印象です。じゃあ自殺しないのに「死にたい」って言ってる人達なんなのかって言うと、不満をこぼしたいってのはあるんでしょうね。折角のツイッター、世の中に発信できる、誰が読んでいるかもわかりませんけど。そこで誰かに自分の不満を見てもらいたい、あわよくばレスポンスが欲しい、慰めて欲しい、構って欲しい、人恋しい、そんなところがあるのかもしれないです。そういう人達がいるかと思います。それはまあなんというか、良いと思うんですよ。人間だし。言動が軽すぎるとは思いますけど。構ってもらえばいいんじゃないんですかって思いますね。そこがまず基本だと思うんです。基本から話に入っていかないとね。分かり辛いですから。この基本をベースにして派生した人達が色々といると思うんです。
たとえば不幸自慢みたいな感じとか、満たされないアピールとか。物凄く持ってる人なんですけど、世の中への不満をこぼし続けて満たされないんだってアピールすることによって、嫉妬を回避するような、そういうのに利用されるパターンもあるかなとは思います。或る意味で謙遜ともいえるかな。かなり強引かもですけど、色々と持っている身でありながら、ちょっと持ってない人達に接しやすい距離感をつかむための道具になるというか。そういうのはあるかなあって思います。
後は乞食とかですか。ネット乞食。病んでる感を出して、お恵み頂戴みたいな。そういう人達も当然いる感じですね。これは特に細かいことを書く必要もない話題で。
話が変わりますけど、この話題ってのは一般的に掘り下げるのは禁忌みたいなところがあります。何故って本当に死ぬかもしれない人間がいて、その人を追い詰めるような言動でもあるからです。大半はどうせ死なない偽物なんですけどね。だから隠れ蓑としては上等なんですよ。追求者は自殺されたら困るってことで追及しないし、追求するメリットもないし、モヤモヤすることはあるかもしれないけど特に追求することはない。放っておけばいいじゃないかって思うわけです、害もないはずだし。死んでほしいわけでもないし。そういう話題なんですよね。だから誰もが思っているだろうけど、なかなか目にすることがない話題というか。
最初に書いたように構って欲しいということであれば、それは「誘っている」という意味でもあります。良くそういう逆ハーレムアカウントは見かけます。野郎どもが「大丈夫?」みたいにリプライを書いてるアカウントとか。好きにしたらいいという感じにはなりますね。
ただ「死にたい」を安易に言う人が多いことによって、本当に死ぬ人が見分けられない感じはありますよね。そんなもの見分けられるのもおかしいのかもですが。いやいや「死にたい」と言ってる人達は予備軍なんだって言うひともいるかもですが、先に書いたように偽物も多いわけで。まあ「死にたい」という言葉を道具として利用する人達からすれば、本当に死んでしまう人達なんで道具も使いこなせない弱者であり、踏みにじって自分が上に立って当然だぐらいに思ってるのかもしれませんけど。というか本当にどうでもいいと思っているんだと思いますね。
でもこういうことを書くと「せっかく『死にたい』の救難信号を出している人達がいるのに、それを出しにくくしたらだめじゃないか!」って怒られもするんでしょうよ。そういう話題なんですよ。
取り敢えずこの辺りまでにしておこう。続きはまた気分になったら。