安全対策ってのは昔から

積み重ねなんですよね。分からない人はいないとは思いますけど。昔は踏切が沢山あったのに、かなり少なくなりましたよ東京は。高架にしてさ。地下鉄にしてさ。それでもまだ自殺する人がいるからってホームドアまで設置したでしょ。そういうもんですよ。酔っ払いが駅のホームに落ちて死ぬのは、行動パターン解析したら、線路と平行に歩いている時に横にふらっとなって落ちることは少なくて、椅子から立ち上がって真っすぐ歩いて線路に落ちるパターンが多かったらしいんですよ。だからホームドアが設置されるまでの間は、椅子を線路と平行に置くのではなくて、線路と垂直に配置したりしてたらしいです。それで酔っ払いが落ちる事故は減ったと。そうやって少しずつ少しずつ良くしていったわけですよ。俺が言っていることは、そういうことです。分かりませんかね。分かると思いますけどね。踏切で歩くのが間に合わなくて引かれて死んだら死んだ人が悪い、線路から酔っ払いが落ちて死んだのは酔っ払いが悪い、自殺したら自殺した人が悪い、そんなことを言わずに改善してきたわけですよ。俺は同じだと思ってますけどね、トイレの誤侵入も。女子トイレに間違って入ったら、入った奴が悪いって言ったところで、誤侵入が無くなるわけないんですよ。だって誤ってしまうんですからね。だったら誤りにくくしましょうって発想ができないのは、どうかなと思うんですよ。子供ならしょうがないけど、大人、少なくとも SE だったら改善案を考えるところまで思料が及んで欲しいと思いました。子供は分からないことが多いからしょうがないですよ。だって大人達が作った社会基盤が、歴史的に積み重ねられた知恵の結晶だとしても、当たり前のように最初から享受してるんですからね。特に詰め込み教育された暗記型で育てられた子は、自分で考えて改善することが当たり前のことだという認識すらないですし、しょうがないと思います。大学生になったり社会に出てから自分で社会の改善案を考え出す教育なのが日本ですからね。しょうがない。ルールに従いましょうってのは良いんですよ。子供らしくて。でもルールを作りましょう、作り変えましょうってのが大人なんですよ。ここが大きな違いだと思いますね。