不確実な情報を拡散するということ

一概に決して悪いこととは思いません。自分の立場や世の中の状況や発言の場や相手の頭の良さや情報の内容などなどを良く考えて、言ったことによってどんなことが想定されるかなどを考えて、メリットデメリットなど良く考えれば OK でしょう。もちろん確実な情報だとか言って騙すのは良くない。不確実な情報であれば不確実な情報って言えば良いだけの話じゃないですか。不確実な情報は流してはいけないなんて科学的な発想じゃないですよ。もちろん世の中の人達が科学的な思考をする人達ばかりではないことも分かっていますけども。科学ってのは演繹的に導き出すものでもないですからね。数学は割と例外的ですけど。木からリンゴが落ちるのを古代の人は特に何の説明もなく受け入れていたと思いますし。その事実を後付けでニュートン万有引力の法則で説明した。それがバージョンアップして相対性理論などでも説明されるようになって、やがて量子力学ヒッグス粒子などで説明されるようになった。事象が先にあって理論は後からつくものなわけですよ。しかも人間が作り出した理論は完璧ではなかった。時代とともに変化している。決して理論が事象を作り上げるわけではない。神様じゃないんだから。同じようなことは他のことにも言えます。事象がそこにあればそこに信じうる法則性を見い出そうとする、それは不確かかも知れませんが、それによって誰かが救われるのかもしれないのであれば拡散する価値はあると私は思います。もちろんデマを広げることを推奨してるわけではないです。逆に広めることを躊躇して救えるものを救えなかったらどうするんですかって気がしてしまう。だから要はさっきも言ったようにメリットデメリットを良く考えてあれば良いんですよ。個人の志向もありますけどね。他人を制御することに重きを置く人間は不確かな情報が出回ることを好まない。俺はそういうことよりかは人命を優先する人間であるということでもあります。自分の情報の信頼性とか評判みたいなのを気にする人もいるでしょう。評論家みたいな人はそういうの気にすると思います。政治家も支持率とか気にするでしょう。でも俺は自分の発言によって人から嫌われるとか信頼が落ちるとか、あまり厭わないというかね。全く気にしないわけではないけども。もっと大事なことがあると思っています。間違った情報を拡散することは良くないけども、そうだったのであれば十字架を背負って反省して改善して生きて行けばいい。間違ってなかったのであれば、それはそれでよかったじゃないですか。きっと誰かが救われた。気持ちよく生きていける。逆に言わなかったことで後悔したらどうにもならないよ。とにかく良く考えることだよ。