知的障碍者を普通の小学校に入れたがる親が言うこと

この方達が言うことってのは、普通の健常な子供達との暮らしを送らせたいって思いではない気がしてるんです。なんていうか健常な子供達と違うってことを認めたがらずに同じ人間なんだって思いたい、みたいな感じって言うかね。前者と後者の違いは分かりますか。前者はダイバーシティ的な考えでもあり得るんですよ。ダイバーシティって言葉も俺が良く分かってないかもですけど、要は違う人達がお互いに違いを認め合った上で、その上で上手く過ごしていきましょうってことです。決して私たちは同じだって思いこみたい、みたいな感じではないんです。この違いは大きいと思ってます。

俺が持っている嫌悪感ってのは前回の記事のように実体験に基づいているんですが、要は保護責任者の偽りの説明さえなければ…って思いが俺の中で強いです。俺ははっきり言ってくれた方が良かったと思ってます。知的障碍者は知的障碍者であるとはっきり認めたうえで、その上で上手く一緒に過ごしていきたいって考え方であれば、俺も理解できるってことなんです。それを偽って本当に全く同じ人間なんだけど、ほんのちょっとだけ違うだけなんだ、みたいな上辺だけの言葉で乗り切ろうとするのが物凄く嫌なんですね。俺はそういうのは子供を傷つけると思ってます。まあ俺の個人的な意見でしかないですけどね。