株式日記を読んだ

色々な事が書かれていたけど。一文だけ気になったのがある。大学の数を減らすと、採用する側である企業が低賃金で人を雇う事が出来るって、さり気無く書かれてた気がするんだけど、その話は本当なんだろうか。はっきりとそう書かれてはいなかったけど、あの場所にああいう一文を書いたって事はそういう意味だろう。自信が無いから明文化してないんだろうけど…。
大卒だろうが高卒だろうが同じ賃金で雇えば良いんじゃないのかなあ。大卒を高卒よりも高く雇うべきってのは、それだけ自己投資しているってのが理由なんだろうけど。大卒が高卒より能力が高いって理屈は基本的には成り立たない筈だからなあ。「今の日本社会では能力が高い人は大卒である」っていう暗黙の了解みたいなのがあるってだけの話であって、本質的には能力の高さと学歴は関係が無い。いやいや違うか。採用する企業の側にとって都合が良い様に、能力がある人は大卒になる様に社会の仕組みを作り上げて来たのかな。だから大卒の能力は高い筈であると。でも何だか最近だと金があれば誰でも大学に入れるし卒業も出来るから、尺度として使えなくなってしまって、企業にとって問題になってるのか。うーん…。
大卒よりも高卒を高く採用するべきって逆の理屈も作れない訳じゃ無い。大学に通う 4 年間という年月、この時間は正に財産その物であってさ。即戦力を求めるのでは無くて、長期的に頑張ってくれる人材を求めるならば、その企業に最適化された様な人材を育て上げる事が出来る訳だから、それは価値になると思う。高卒は恐らく大卒よりも使えないとは思う。色々と一般常識とか知らないだろうし。でも即戦力にならないのは大卒も同じでしょう。
でだ。金さえあれば誰でも入学卒業が出来る馬鹿大学があると、どうなるのかって話だけど。この大学は直接的には金がある人にしか影響を及ぼさない。金が無い家は自然と高卒になるだろう。金が無くても異常に優秀なら一流大学に行くだろう。そういう大学があると、学生達が幸せになるか。企業が幸せになるか。大学への補助金が適正になるか。
話が飛ぶんだけど、モラトリアムの重要性って余り考えた事は無いんだけど、モラトリアムの期間って長い方が良いのかなあ。それとモラトリアムってのは大学に在学しながら過ごすのが良いのかなあ。俺なんかは 2 年間ぐらい引き篭もってたけど…。2 年間の引き篭もり期間中に、コシミズブログとか株式日記とかアカシックレコードとかに出会って、それでこのままじゃ拙いって思って、デモに参加したり、再び働き出したりしたんだけどさ。働き出してからはデモに参加する事は無くなったけど。働き出すとデモに参加する余力が無くなる。だから思うんだけど大学生みたいな余裕ある人達にデモに参加して欲しいんだよねえ。でも大学に行ってると頭がファンタジーな人達が出来上がって、デモに行く理由とかを知らない様な人達が量産されるんでしょ。それが非常に嫌なんだけどさ。だったら引き篭もってインターネットで情報収集してくれてた方がマシじゃねえかなって思ってしまう。
じゃあ大学って要らないじゃんって話になるというかさあ。インターネットが発達した現代に於いて、大学の存在意義ってのは変わったと思うんだよねえ…。医学部に関しては、外科とかで実験とか実践とかをするから大学は必要だと思う。美術や音楽といった分野も大学を必要とするでしょう。理学部でも実験をするから必要とするでしょう。でも文学や数学はインターネットでも学べるんだよなあ。それに関しては図書館が存在した昔でも同じ事が言えるか。でも図書館では本の数が限られるけどな。…そうだなあ、大学には教授が居るんだよな。教授ってのは細かくは教えてくれないんでしょ。講義をしてくれるけど。だから先生とは違うんでしょ多分。良く知らないんだけどさ。そして教授は評価をしてくれると。だからやっぱり存在意義はあるのかなあ…。良くも悪くも教授次第というか。大学の設備の良さもあるだろうし、大学のシステムとか、周囲の生徒の良さとか、色々とあるとは思うんだけど。周囲の生徒に影響されてやる気が出たりするらしいし。人間関係を築いたりもするってのもあるだろうけど。それってのは別に高校でも十分にしてる事じゃないですか。恋愛ってのはアレだ。別に大学でする事は無いよ。大学を恋愛する場所って考えてるんですかね。高校までは受験勉強で頑張って、大学デビューして、大学で恋愛を楽しむってパターンですか。それってどうなんですか…。確かに勉強や仕事を頑張る人達の人生を考えると、恋愛をする期間って大学在学中ぐらいしか無い気がするんだよね。社会に出てもあるけど下火になるでしょ。俺は高校が工業だったし大学にも行って無いので、充実した恋愛期間は無かったよ。だから何と言うか、恋愛の為に大学が必要とか主張されても、俺は個人的には許容する事は出来ないなあ。俺みたいな人は沢山いるだろうし。
で企業の視点から見れば、教授や大学が評価を下して太鼓判を押したって事で一定レベルの人材が確保出来るんじゃないかって長所があると。馬鹿でも卒業させる大学が存在するのは事実だけど。そして企業の視点からの短所として、大学を卒業したって事で高い賃金で雇わなくてはならないって事があると。高卒と大して能力が変わらない馬鹿なのに。
話が逸れるけど、自己投資と先生による評価って観点で言うと、習い事も同じ事が言えるんですよね。物によっては大金が無くちゃ出来ない事だけど。それってのは余り企業に評価されないんですかねえ…。企業は大学と習い事の線引きを何処でやってるんだろう…。馬鹿な人事にはそんな線引きは出来ないか…。独学ってのは評価はされないんですかね。他者による評価が入らないとダメなんですかねえ。独学したなら独学したで資格でも取れって事なのかなあ。
生徒の視点から見れば、どうなんですかね。大学で遊ぶ 4 年間が幸せってのは、恐らくそうなんだと思うよ。遊んでるんだからな…。俺には無かったけど。金が無かったし。家で引き篭もる事は出来たけど…。
それでなんだっけ。大局的な視点から生徒に利点があるのかって観点で考えるんだっけ。あの株式日記の引用元の記事の考えで行くと。馬鹿大学がある事によって、生徒達が不当に安い給料で買い叩かれなくなるって話。うーん…。うーむ…。
そうだねえ、細かい理由は考えて無いけど、やっぱり馬鹿大学は要らないと思うねえ俺は。考慮が足りない面も多々ありそうだけど、取り敢えず現段階での俺の判断では、馬鹿大学は要らないと思います。金満の馬鹿大学卒業生が増える事によって、巡り巡って貧乏の高卒にメリットが来るかって考えると、そんなに来ない気がするし…。
金満の留学生を沢山受け入れて親日の人を増やすって観点もあるんだっけ。それはメリットが大きいのかなあ。デメリットも色々とあるんだろうけど。
国が大学にランク付けをして欲しいとは思うんだよねえ。国からの補助を受けられる大学と受けられない馬鹿大学を分けて欲しい。金持ちが自分の子供に遊ぶ期間を与えたいってだけの目的であれば、全額を自己負担して欲しい。金持ちと貧乏人の間にそういう格差が出来る事を甘んじて許容するとしても、国が補助金まで出すのは解せないんだよ。それと馬鹿大学でも大卒の称号みたいなのを得られるってのも解せない。だから馬鹿大学は馬鹿大学として馬鹿大学卒業の称号ってのも作って欲しい。子供に遊び場を提供したい恋愛する場を提供したい、といった要求に就いては許容するけど、そういった場を「大学」には要求しないで欲しいって事です。大学って名前が付いてるだけの、国からの補助金が出ない、大卒の称号も贋物である、「馬鹿大学」に要求して欲しいって事です。それなら多少は納得が行く。馬鹿大学ってのは言葉が悪いから、違う言葉を考えた方が良いかも。モラトリアム保育園とか。
纏まって無いけど、そんな感じですね。
大学って言葉の原義とか原点とかは知らないんだけどさ。俺は大学は大人の為の学校だと思ってるんだよ。それってのは例えば社会人が立派な教授の講義を聴きにやって来るような場所だよ。だから遊び場とか恋愛する場とは程遠い場所だと思ってる。それが大学であると。俺はモラトリアムの連中が過ごす場の事を大学とは思って無い。モラトリアムの連中が過ごす場に国が補助金を出すとか、とてもじゃ無いけど許容する事は出来ない。若し補助金を出すのなら貧乏人でも入れる様にしろ。財政的に不可能っぽいけど。