一応書いて置くけど

俺は何も努力してない訳じゃないよ。仕事に関する事なら努力してます。高校 3 年の時に 3 ヶ月間ぐらい勉強して第二種情報処理技術者を取ったし。学校のサポート無しの独学だよ。社会人になってからも仕事に関する事なら勉強してますよ。但し社会人になってからは資格を全く取ろうとしていない。実務に関する能力にしか興味が湧かない。
これらの努力って辛い努力じゃ無いんだよね。好きな事を頑張っているだけなんだよ。高校生の頃は自分の力試しをしたいとか一つぐらいは資格を取りたいって思いもあったし、何よりパソコンが無かったからテキストを読んでるぐらいしかする事が無かったので、資格の勉強に打ち込んでいた。でも社会人になってパソコンが手に入ったら、テキストには興味が無くなった。パソコンを触っている方が実用的な事が身に付いて楽しいから。
いやさあ今日は女子高校生と日本の大学生はどうして大学に入ったら遊びに走ってしまうんだろうって話してたんだけどさ、やっぱり辛い受験を終えると御褒美がどうしても欲しくなるらしいんだわ。そりゃまあ分かるんだけどねえ…。要は勉強を辛い物だと思っている時点で何かが違うんだよ、俺が思うに。自分がなりたい道に進む上で必要な物を学び取る事はそんなに辛い事なのか…って思う訳だわ。大学に入っても学ぶ意識は変わらず、更に環境が良くなった御蔭でより熱心に学び続ける、そういう物だと俺は思うんだけどねえ…。何だかなあって思ったよ。
受験勉強を乗り越えると、自信が付いて社会を生きて行く上で役に立つってのは、或る程度はあるかも知れないんだけど、どうなんだろうな…。エリートコースの人間のメンタルが強いとも限らないからなあ…。うーむ…。今の子供には大変な事に思えるのかもなあ…。
俺なんかは自分のメンタルが強くなったのは、やっぱりあの子供時代にあるのかなって思う。親から体罰を受けて育ったし。時に理不尽な理由で怒られたりもしたし。学校では毎日の様に 2 年間は嫌がらせを受けたりしてたし。そういった理不尽な状況というのが俺が暴発する寸前ぐらいで止まっていた子供時代が、俺を強くしたのかも知れないと思ってる。あの子供時代に比べると社会生活なんて屁みたいな物ですよ。
それでも俺の父親の子供時代よりは全然マシなんだよな。極貧で大変だったらしい。団塊の世代の最下層ぐらいだったんだと思う。父親は学校成績が良かったらしいんだよ。通知表を見せて貰った事があるけど 5 がかなりあった。でも極貧だから中卒。逆に母親は相当に馬鹿だったよ。父親はトラックの運ちゃんになり俺が生まれた。父親が大学に行ってたら俺は居なかっただろうな。
俺はというと普通よりは勉強出来る方だったよ。中学一年の年度末の校内実力テストで理科の偏差値 77 ってのは俺の中で伝説。それ以外はあんまりパっとしないね。高校入学ではレベルを下げ過ぎてしまった所為で、トップ入学しちゃったってのもあるけど、自己採点 325 点ぐらいなので大した事は無い。
高校時代にさ、同じクラスで凄い頭の切れる奴が居たんだよ。そいつは勉強はあんまり熱心にしてなかった感じ。遅刻もするし居眠りもするし。だけど数学は 100 点とかばっかりなんだよな。全体的な成績では負けた事が無かったけど「コイツが本気を出したら俺なんか話にならない程に凄い筈なのに勿体無いな」ってのはずっと感じていた。