拍手とか褒め言葉とか好意とか

なんやかんや言うじゃないですか、配信サイトとかで。配信者に対して参加者が。実際そういうのって面倒だなって物凄い思うんですよ、正直な話。俺は未だアカウント作ってないんですけど。アカウント作るのも面倒ですからね。そういう人間なんですよね俺は。でも配信は聞いてたいと思う訳だ。でも俺は特に間違ってるとは思わなくて。なぜならラジオを聞いてるのと同じ感覚だから。でもラジオとは違うのは間違いないんですよ。だってラジオのパーソナリティはちゃんと報酬をもらってるからね。配信サイトの配信者は報酬をもらってる人もいれば、もらってない人もいる。報酬をもらってる人であればラジオのように聞いてもいいかもしれない。でも報酬をもらってない人はどうだろうか。でも俺はその辺は気にしません。ただただ聞いています。参加するだけでポイントが入ったりするサイトもあるみたいだし、配信者に貢献していると言えば貢献しているし。それで良いんじゃないかなあって思ってますね。広告だって見てるわけだから配信サイトにも有益なはずでしょう。回線コストを考えれば損のが大きいかもですけど。そして俺は広告を見てもそれが消費行動につながる率がとても低い人間ですけど。でも無料で見れるんだから見れば良いんですよ、無料ゲームと同じで。喋らない人間でもサイトには有益な点が他にもあります。そこに人がいる感覚を出せることとか。つまりサクラを雇わなくても人がいる感覚を出せるってことです。まあ無言の参加者であれば、プログラムでも実現できるんですけどね。別に褒める価値もないとかそういう意味ではなくて、良いと思うから聞いてるんですよ。それは間違いなくて。ただそれが出てこないよ行動に全く。だから「拍手したい!」って思える人間というのが世の中にいるんだって、自分と他人の違いを認識するわけですよ。小さい頃はそれすらわからなかったから。段々と分かって来たけども。でも「拍手したい!」って思ってないけどやってる人間もいるでしょうけどね、色々な理由があって。その理由については色々と考えられますが言及はしないでおきます。なんというか人を応援するのが大好きとか、スポーツの試合を生で観戦するのが大好きとか、そういう人っているじゃないですか。俺はそういうタイプでは全くないんですよ。なのでそういったタイプの人間というのは、おそらく「拍手したい!」って思う人間なんだろうなあって思います。俺も心から「拍手したい!」って思うことはあるんですけどね、ただ俺は閾値が高いか、先に書いたタイプとは異質なものなんですね。でも実際の所こういった感覚というのは薬物で簡単に変わるっぽいんですけどね。精神病の薬とか。頭の中のパラメータの問題。