貧困問題

あのまま書きっ放しにするのもどうかと思うから、ちょっと書いてみるか…。
貧困ってのは何なんだろうって所から始めるべきなんだろうか。貧困ねえ…。その時点に於ける人々の暮らしを相対評価して階層化して、その下層に位置する人々の事を言うのだろうか…。うーむ…。割と色々な事に考えを巡らさなくてはならない話題な気がするんだよな…。
文明が起こり始めた頃から貧困ってのは存在したんだよな恐らく。古代エジプトの時代でも奴隷の人達は貧困だったんでしょ。ピラミッドを建ててる様な人達は。エジプト以外でも同様だったんだと思うんだけど。でまあその頃は外部の情報があまり入って来なかっただろうから、貧困ってのを相対評価する集団が文明ごとに分かれてたんでしょう多分。世界の人々の暮らしを相対評価する事なんて出来る訳が無かっただろうから。だからエジプト文明エジプト文明貧困層を抱えていたし、メソポタミア文明メソポタミア文明貧困層を抱えていた。それぞれの文明の貧困層の暮らしにどの程度の差があるのか、御互いに殆ど知る機会は無かったんだと思う。知る機会が無ければ貧困も何も無いんだろう…。それが当たり前なんだから…。
話が逸れるけど、やっぱり絶対的な基準ってのもある気がするな…。餓死するレベルは流石に貧困だって思うなあ…。病死は目を瞑って良いと思うんだよ。少なくとも紀元前の頃は医療技術は大した事が無かっただろうから、その頃に病死するってのは貧困とは無縁だと思うんだよな…。でも現代に於いては、特定の病気に就いては、相対評価をすると貧困って評価されたりすると思う。だから貧困ってのは絶対的な基準と相対的な基準の両方で考えるべきなんかなあ…って思う。
貧困を考える際の絶対評価に用いる尺度は、食糧事情だけで良いんかなあ…。治安は自分達の所為ってのもあるから( 他国の謀略もあるけど… )、貧困とは無縁と考えるべきだし。軍事力は取り敢えずは貧困とは無縁と考える事にしたい。エネルギーも関係無い事にしたい。知識も取り敢えず関係が無いって事にしたい。自由な時間ってのは関係がありそうだよなあ…。毎日のルーチンワークが多い暮らしは貧困っぽい気がする…。でもそれも時代による相対評価が適切か…。しかし異常に睡眠時間が短いのや強制労働時間が長いのは貧困であるとも言える。衛生環境ってのは、それってのは医療と同じだよな。要は時代によって相対的に評価される物。
環境や天災に対する備えに就いても同様かなあ…。そもそもそんな厳しい環境の所に住むなって言いたくなるし…。住むんなら自分達で何とかしろって気もするし…。北極や南極に住んでる人達が居たとして、助けてくれって助けを求められても「自業自得だろ!」って言いたくなるよな…。定住してる人が居ないから言えるんだけど…。でも異常気象の所為でエスキモーの人達が死に絶えそうですって状況になったら、日本も助けを出さなきゃいけない気がするしなあ…。でもエスキモーの人達は数が元々多く無いだろうしな…。カナダだけで解決出来そうっちゃ出来そうだな…。でも厳しい環境に住んでる人達って、住み易い所から追われて仕方なく住んでるってのが多いんだよな、それが自然界の定説というか。種を超えると、他の種が住めない場所に適応して、その場所を独占する事が出来る様になった…って解釈が出来るんだけどな。でもエスキモーとは同じ人間同士だからなあ…。でも同じ人間って言っても、やっぱりエスキモーの人達は寒い場所に適応してるんだよな。恐らく DNA レベルで寒さに強い人達だと思う。でもエスキモーってモンゴロイド系なんだよな確か。そう考えるとノルマン系とかスラブ系の人達の方が寒さに強そうな気もするし…。話が逸れてる気がするんだけどさ。何と言うか、寒さへの適応度合いが強い人達が寒い所に住んでるのは、それは寒い場所を独占してると言える気がするし、適応度合いが弱い人達であるならば、追いやられてしまってる気がするというか…。何だかもう何が言いたいんだか分かんねー…。
後さあ発展途上国って多産多死なんだよな。生き残る率が少ないから多く産むって言う。だからより食糧事情が逼迫して貧困が加速するんだよなあ…。産むなって言いたくもなるけど、そういう訳にも行かないのか…。うーむ…ってダジャレじゃないぞ…。医療技術が無いから食糧事情まで悪化するという悪循環だよな…。でもその時代にその環境に適応した人間を生み出すという意味では、実は健全な社会であるとも言える。医療技術で俺みたいな人間が生き長らえるのは実は不健全なんだよな…。全くなあ…。夏目漱石胃潰瘍で死んだんだからなあ…。だから俺は遺伝子工学の進歩に期待してるんだけど…。受精卵の段階で粗方の病気を見付け出して、酷い病気が見付かったら、受精卵という苦しまない段階で殺してしまう…。きつい事を言ってる様だが、それが理想とは思う。
という事で、絶対的な基準としては餓死するか否か、時間割が酷いか否か、ぐらいだとは思うんだけど、死亡率が高い為に多産になって、その為に食糧事情が悪化して餓死も増えてしまうって考えると、相対的な基準の一部も結局は絶対的な基準に結び付くと考える事も出来る。相対的な基準の話に就いては、自分達で頑張ってくれって言いたくもあったけど、多産とかいう事情もあるので、やっぱりそういった面からも救いの手を差し延べる必要はあるって事か…。疫病ってのもあるしなあ…。相手が救いを求めているならばってのもあるけど…。一方的に救いを出すだけでは無くて、取り引きするのもありとは思う。実際に中国はアフリカとの取り引きが多いらしいし。
文明単位で考えるとさ、その文明が現時点で貧困である事は、それはそれまでの政治とかが酷かったからってのもあるとは思うんだけど…。立地が酷かったってのもあるだろうし。侵略されたからってのもあるだろう。そうなると賠償とかも必要かも知れないって思う。でも侵略ってのは昔に於いては、それが罪だったのか微妙な所でさ…。その時代に於いては罪があったのかも知れないけど、今それを評価した際に罪と言えるかって言うと微妙だったりするでしょ。時代の流れから逆らい様が無かったって言えたりするでしょ。ユーラシア大陸でどれだけ多くの戦争が起こって、どれだけの国が滅びたか…。それを回避する事が出来なかった歴史って考える人は多いんじゃないかと思う。その過去のライン、この時代までは回避が出来なかったんだってラインを、欧米列強は帝国主義時代まではどうしようも無かったって言うんだよな。それが正しいのか否かはさて置き。だから欧米列強は日本が朝鮮半島支配下に入れたのは、時代の流れからどうしようも無かった事って日本を支持するんだよな…。まあ日本人としては有り難い事ではある。実際に日本が支配してなかったらロシアが支配してたのは目に見えてる感じだったからな…。日本支配ってのは欧米に比べると物凄い良かったって話があるよな。欧米は非白人を奴隷みたいに扱ってたけど、日本人はアジアで団結して白人支配を打破しようとしてたからさ。だから白人は非白人にまともな教育を施さなかったけど、日本はインフラを整備して学校を建てて教育を施した。この教育を施すってのは、物凄い事なんだよな…。これをやったのに、韓国が欧米と同じ植民地支配って言葉を使う所に悪意を感じざるを得ない…。洗脳的な教育じゃなくて( 多少はしたかも知れないけど )、ハングルの識字率を逆に高めたんですよ、日本は。そこまでやったのにな…。欧米は植民地の非白人を奴隷扱いして教育を施さずに単純労働をさせて、その成果を安く輸入して、自国で生産した工業製品を輸出して潤ってた訳だ。でも日本は朝鮮半島のインフラ整備をし捲って、潤うどころかマイナスだったって話だ…。共に欧米と戦ってくれる戦友を育ててたんだから当然の話とも言える。ロシアに支配されてたらもっと酷かった筈なのに…。欧米の酷い話として有名なのは、アフリカ人の奴隷貿易だよな。その所為でアフリカの発展が遅れたんじゃないかって話がある。その点に就いては、欧米の人も余りはっきりと仕様が無い事だったって言えない感じなんかな…。戦争とは少し違うからな…。話が逸れたかなあ…。
だからさあ文明単位で考えると「自分らが怠惰だったからなんじゃねえの」って考えも出て来たり「お前らが酷い事をしたからだよ」ってのもあったり「立地が悪かったんだよ運が悪かったんだよ」ってのもある訳ですよね。現時点で存在する個人で考えると、そういうのは全く関係が無いんだけどさ。だけど個人ってのは所属する国の文化を少なからず好んでたりする物だから文明も考慮する必要があるんだよな。血脈ってのもあるだろうし…。
でまあそういう事を考えて、どういった救いの手を差し延べるのが適切なのかって考えるとだ…。まあそうだなあ…。食糧援助が先ずは間違いが無いとは思う。でも日本には援助する食糧なんて無いけど…。医療や衛生面の援助はするべきかなあ。自由な時間を増やせる物も多少は上げるべきか。エネルギーとか。そうなるとゴミ問題にも介入して行く必要があるのか…。教育もそうだなあ…。でも教育ってレベルからは、流石にそこまでやって上げちゃうんですか感が出て来るけど、多少はするべきかもって思う。そして雇用なんだけどさ。こっからは国内事情に少なからぬ影響が出て来るんだよな…。国内の労働者を無視して海外の労働者を助けるつもりなのかって考えが出て来てしまうんだよなあ。個人って単位で考えると正当なんだけどさ、生まれで差別されるのはおかしいってさ。だけど文明の衝突がそこで発生するんだよな。あの野郎は日本国内で育った癖に海外の人を重用しやがるのか。あの外国人は日本にやって来て、日本文化を尊重するのだろうか、それとも俺達の暮らしを壊す存在なのか。そういう事が出て来るんですよねえ…。だから雇用ってラインまで来ると流石に微妙…。
後は人口問題だよなあ。助けるだけ助けて人口が激増して世界的に困った事になったら、どうするんだろうって話がある。俺は二酸化炭素の排出量の話じゃなくて、人口問題に就いて話し合うべきだと思うんだよねえ…。いやいや二酸化炭素の排出量ってのは、間接的に人口問題の事を話してるのか…。それにしても人口を減らすぞって話を聞かないよなあ。減らすんなら減らすではっきり言えよって思うんだよな。本当にどうする積もりなんだろう。環境保護技術の進歩度合いも考慮した方が良い気がするよな、どういう援助をするのかに就いて。
全く纏まらないな。