俺にとってのちびまる子ちゃんの OP/ED は

ゆめいっぱいとおどるポンポコリンと走れ正直者だよ。前に書いたように俺にとってちびまる子ちゃんは家族で食卓を囲って見るアニメだった。第一期のちびまる子ちゃんは年齢的にそういう時期だった。でもツヨシしっかりしなさい後の第二期の頃の俺は、年齢的にそういう時期は過ぎてたんだわ。だからほとんど見てないんだよ。

主人公が善性キャラであれば

厳しい戦時下を生き抜く術を周囲の人に伝授しないのは筋が通らない。善性キャラではないのなら筋が通る。伝授する時間がなかったって描き方なら納得できる。伝授したことで軍に目をつけられてしまうから何も教えたくなかったみたいな描き方もあり得るか。既に述べたが才能や素質がないと伝授できないってのも納得できる。善性ではあるものの、あまりにも末期的な世界で今日の味方が明日の敵かもって状況下のため迂闊に他者を強化するような知識は教えられないってのも分かるかも。何か納得できる理由を描いて欲しいものだよ。主人公最強ものであれば、主人公にしか使えない能力だから、みたいな身も蓋もない理由や、神様級の主人公であれば世界のバランスを崩壊させるからみたいな糞みたいな理由で描かなくても良かったりする要素ですけど、主人公最強ものじゃないんだから描いて欲しいんだわ。まあ面白くなくなるみたいな理由があるのかもしれないけどさ。そういうのってありなのかね。理詰めで面白さを出していくスタイルとは相反するよなあ。理詰めってわけでもないんだろうけど。理詰めの雰囲気だけは出してるんだからさあ。そういう理由付けっていうのかね、そういうのって世の中に腐るほど浸透していてネット上に石ころみたいに転がってるけど、その世界で主人公が強いとか生き残ってる理由ってのを掘り下げていくと、才能・素質、運、努力、みたいな要素に行き着くんだわ。そこの整合性はとって欲しいよ。

これは当たりか

面白いよ。戦時中の話なので残酷ではあるけど。色々と受け入れがたい気持ち悪い話もありますが。主人公最強のくだらない作品よりかよっぽど面白いか。ただ段々と主人公が強くなって来てしまっているからな。段々と詰まらなくなるのかもな。だけど作品単体で考えれば時間経過で主人公が強くなるのは当然とも言えるし、弱い時代の主人公と強い時代の主人公の両方を描いた方が飽きさせにくいのも確かだよ。でも俺は後者の作品を糞ほど見てて辟易してるんだけどな。こういう作品のほとんどに言えるんだけど、主人公ばかり色々なものを伝授されるけど、主人公は他人に伝授しないのな。伝授できないんだろうか。伝授できるのにしないのであれば、しない理由をちゃんと描けよって気はするね。才能や素質が原因で伝授できないのであれば、単純に主人公は当初から超ハイスペキャラだったってことなんだよな。開花してなかっただけで。良くある話か。それに強運で何度も危機を潜り抜けている。これも主人公パワーではある。それでもアイデア次第では面白く感じられるのな。単に俺が見飽きていない分野だからなのかもしれないが。

暖かくなって来て助かる

ここで ETF やめるのか。経済は水物かもしれないけど、そういう予定が当初からあったのであれば、政府には新 NISA 制度を導入する時点で国民に説明する道義的責任があるような気がするのだが。どうなんでしょうか。YCC も止めてマイナス金利も解除するらしい。それで幾分か円高になるかもとか。そんなことできるもんなのか。

鳥山明も TARAKO も早いね

まあぼちぼち死に始める年齢ではあるんだけど。TARAKO も俺の世代ではかなりの有名人でした。ゴールデンタイムぐらいの時間帯のテレビ番組の司会もやってたぐらいだよ。俺らの世代でテレビで声優がゴールデンタイムの司会をやってたって言ったら凄いことだから。まあ俺はその番組は見てなくて、印象に残ってるのはちびまる子とタルるートですけど。前者は平成って時代の幕開けを告げるようなアニメだった。個人的には鳥山明ほどではないけど、サブカルチャー的に時代の一翼を担ってた人じゃないですか。でもちびまる子以前にも色々あるけどね。ちびまる子の何が新鮮だったかって言うとニヒルというか、皮肉というか、そういう系のユーモアを食卓を家族で囲みながら見る、そういうエンターテイメントを提供したところだったんじゃないかなあ。良く分からないけど。ちびまる子より前は家族団らんで見るアニメって言うと、もっと真っすぐなアニメが多かったというか。そう振り返ると俺にも家族団らんというものがあったんだな。今の俺にはないけど。

鳥山明死去

この人も俺の人生への影響がでかいよ。ドラクエドラゴンボールとアラレちゃんか。幼少期の俺の人格形成の一端を担ったと言っても過言ではない。それを言ったらすぎやまこういちもなんだけどさ。いや本当にこの歳になると自分の人生へ大きな影響を与えた人がどんどん亡くなって行くのな。はあ。

群れの中で他者を比較対象として認識するのではなく

独立した個人が現代日本に存在しているだけと認識する。人間も動物のように。動物に知恵が生えているだけ、それぐらいの認識で良い。動物のようにかわいがれば良いし、悲しそうな目をしていれば一緒に悲しめばいい。そういうことはできるでしょ。また獣は脅威にもなりえる。同じように脅威となる個人もいるでしょう。それは戦争みたいなことでもあるでしょうし、そうじゃなくて自分が仕事をしていて、自分より仕事ができる人がいた場合とかもそうですよ。その時は心からこいつは凄いなって認めたうえで、このままじゃ俺もやばいじゃないか勉強しないとって頑張れば良いだけ。劣等感を感じる必要はないわけだ。まあ考えようだよな。他者と自分を切り離せ。

これは冗談ですが、俺はそれなりに博愛で言わば「仁」を或る程度は持ってるから。君主としての資質があるのよ。なので他者に価値を見い出さず、自分と切り離してしまっても、それでも他者を尊重できるわけさ。だから実は一般人にはオススメできない方法かもしれない。仁が無い人が自分と他者を切り離したら、大変なことになりそうだからな。でも仁って意外と誰でも持ってるような気もしなくもないんだけどな。どうなんだろうな。まあ仁ってものをどれだけ高尚なものと捉えるかどうかにもよるか。俺は少なくとも高尚ではないので。