資本主義

縄文時代の日本列島に資本主義はなかった。通説では 1 万年以上に渡って平和な時代が続いたとされる。特に文明の進歩もなく穏やかに平和に。怪しい話ですけど。とにかく穏やかで平和な時代ってのは文明を停滞させる確率が高そうであると考えられます。現代においては異なるはずですけど、そういった文明の初期段階においては穏やかで平和な暮らしは文明を進歩させない気がします。

そこで文明の進歩にはそこそこの気性の荒さが必要になったのではないかと考えます。互いに競い合って緊張感を持つこと、それが自らをより高みへと到達させないと生きていけないという圧力になり、技術の改善に繋がっていったのではないか。全く関係ないかもしれませんけども。

そんなこんなで人類は自ら生きることに貪欲に互いに競い合うように生きて来て、しかしながら共同体などを作る協調性も持っていたので、共同体の中で協調して、その外側とは競争するように生きて来た。大きな共同体で力を合わせた方が外敵から身を守れるし。そうやって協調と競争を伴って進歩して来た。

現存する人類がそういった過程を経ていると考えるならば、我々にはそういった我欲も協調性も備わっていると考えるのが妥当です。資本主義は我欲と親和性が高い。自分だけ生き延びたい、自分だけ富みたい、そういう人間の欲望に寄りそうのが資本主義で、共産主義は我欲に寄り添わない。人類には我欲も協調性もあるはずだが、欧米では我欲に働きかける体制が目覚ましい成果を生み出した。しかし縄文人の血がそれなりに残っている日本人には馴染まない文化である可能性は十分に残されている。

人類の文明の発展段階の初期においては、強すぎる協調性は文明の進歩を遅らせる要因だったのではないかと考えても良いかもしれないが、文明が現代の水準まで発展したのであれば、寧ろ我欲よりも協調性が物を言う可能性がある。ここまで科学や教育の水準が高まった時代では、協調性によって互いを助け合う高め合う生活水準を向上させるといった目的だけで科学が十分に進歩できるからだ。なので現代において資本主義は時代遅れであると考える。しかしながら資本主義が時代遅れであっても、我欲の強い人間が消えてなくなるわけではない。

それと我欲の強い文明は他者から奪い取ることに力を注ぐので、協調性が高い文明と接すると、奪い取る側が生き残ってきたって考えてみても妥当性を十分に見いだせる。つまり文明の進歩の速度に違いはなくても、攻撃性が高い方が生き残ってきたって考え方もできる。

しかし科学が進歩するに伴い、身体能力より武器が物を言うようになって来た。優れた武器を作り出すには優れた生産能力が必要だった。そういった意味で文明が生き残るための要因として、攻撃性の重要性は薄れて来ていると考えることはできるはずだ。核ミサイルを使ったら文明が滅びるし。

我欲の強い人間は互いに殺し合ってきたわけなので、おいそれと自らの力を手放せない。徴税に応じることは力を手放すこと。なので金持ちは徴税に応じない。互いに信用できない。裕福な生活も手放したくないだろう。そう簡単に体制が崩れることはないはず。

我欲の強い人間にキリスト教みたいな博愛系の一神教は相性が良かったんだろう。持前の我欲と利他的な教え。それが両立したことで科学が発展しやすい土壌が出来たってのもありそう。

とか書いてるけど、実は世界平和に貢献していたりするのだろうか。資本主義ってのを語るにはもっともっと書く必要があるけど、面倒になって来たな。