大学とか文化とか

式日記を読んだけど、日本の文化力を育てるべきってのは間違っていないとは思う。文化力を育てる事には何の問題も無いし。でも実際に文化力を育てるって事になると、その人の時間を文化的な事に向ける事になるので、他の事が犠牲になる。そういう意味で問題が生じて来るっぽい。だから文化力を育てるって事への賛否に就いて論じるのならば、何に費やす時間を犠牲にするかって事を書くべきって事になる。株式日記では事務処理的な勉強ばかりでは無く、文化的な教育もすべきみたいな事を書いていたと思う。まあそれも割と賛成なんだけどもうちょっと具体的なのが欲しいな…。
因みに俺が先日書いた「国家公務員一種に受かるレベル…」みたいな話は面倒だったから凄いてきとーに書いてただけなので、真に受けないで欲しい。これは兎に角分かり易い基準で書きたかったから具体的な物を上げてみたってだけだ。芸大や音大で国家公務員一種を取るとか無意味過ぎるし。F ランク大の生徒で国家公務員一種を取るのは不可能に近いだろう事も予想は出来る。もうちょっと丁寧に書くと、例えばアナウンサーなら英語や中国語や韓国語やロシア語がペラペラ喋れる様になるとか、政治家なら演説が滅茶苦茶上手いとか、兎に角その道に行くべき人が公務員で言う所の国家公務員一種級に到達して欲しいという感じです。
話が微妙に結び付いている様で結び付いていない感じなんだけど、俺は個人的には文化的な発展と大学を余り結び付けたく無い気がしているんだけど、どうなんだろうねえ…。学業に専念すべき学生が「文化的発展の為に遊んでまーす!」みたいな感じで良いんだろうか…って思うんだけど…。学業をボロボロにするんじゃ無くて、やるならちゃんと両立させて欲しいんだけどなあ…。
文化の発展に就いては専門家に任せれば良いんじゃねえのかって思ってるんだけど。芸大とか音大とか専門学校とか。学校というよりも寧ろ学校に行かずにその道に走った生粋の専門家とか。或いは普通の大学を卒業してから、そっちの道に専念するとかさ。
俺は大学に行って無いから知らないんだけど、思うにサークル活動とかって二流以下の活動なんでしょ。構成員のレベル的に。その道の第一線レベルではやって行けない人達が趣味でやってる場所でしょ。それにサークル活動がメインじゃ無くて、飲み会とか合宿とかで遊ぶのを楽しむのがメインだったりするでしょう。要は遊んでるだけなんだと思うんだよなあ…。コミュニケーション能力が高まるってのも納得が行かない。俺はそうは思わない。社会の厳しさに直接ぶち込んだ方が磨かれると俺は思う。
昔の俺を知ってる人なら間違い無く首を縦に振るだろうってぐらいに、俺は本当に滅茶苦茶コミュニケーションが苦手だったんだけど、今では何とかコミュニケーションを取れる様になって来たよ。大学とかで生温くやってたら 4, 5 年は精神面の成長が遅れた気がするね。社会の厳しさを知って裏社会の闇を知って社会の出来事に関心を持つ様になり、自分がこの日本で生きていられている事が如何に不安定な事かを知り、この世界の真理みたいなのに近付いた感じもあり、心の底から「このままでは拙い」という思いが出て来たというか。
サークル活動が二流の活動だったとしても、その後に一流になる若手を育成しているってのもあるかも知れない。ピラミッドを構成する底辺を増やすみたいな感じで。でも別にそれは大学のサークルである必要は全く無いでしょ。そんな風に一流になって行く奴は大学のサークルなんて無くても、他の団体に加盟したりして勝手に一流になると思うよ。それでも「私は大学のサークル活動に出会えたからこそ一流になった人物を知ってる」って言うかも知れないけど、そんなのは稀ですよ多分。大学の主軸を学業から文化に傾けたとして、全体に対する費用対効果をプラスマイナスで考えたら差し引きで大赤字ですよ。それぐらい希少な存在だと思う。
だから大学のサークル活動ってのは絶対にメインの存在では無くて、大学生にとって一番重要なのは学業なんですよ。サークル活動が文化力創出の源なんて考えは有り得ないよ。大学生のサークル活動なんてのは、学業を頑張って疲れたし、ちょっと息抜きに遊びたい、考えを同じにする仲間達と趣味を頑張りたい、程度の存在で良い。文化の源の様な存在であるのなら、大学生だけに閉じたサークルであるのは間違いで、もっと広くオープンな存在であるべきだよ。
但し大学ってのもピンキリである事は分かってるよ。だからサークル活動がメインの大学なんてのもあるんだろうよ。でも俺はそんな大学は潰れて欲しいと思う。名前に大学って付けないで欲しい。学校法人じゃ無い物であって欲しい。国から補助金を受け取らないで欲しい。
式日記に携帯電話に就いて書かれていたけど、確かにそれはそうかもだなあ。携帯電話の影響は大きいとは思う。