ストックホルム症候群

教師と生徒の関係を合意の有無を問わず認めない理由というのは、色々な筋書きが考えられると思いますが、極端な例で分かりやすいものを取り上げるとストックホルム症候群が考えられます。これは簡単に言うとテロリストなどの犯罪者が人質を取った場合、人質がテロリストに対して協力的な態度を取るようになり警察などと敵対するというものです。生殺与奪を握ってる立場というのは、それだけ握られている物の考え方に影響を及ぼし兼ねないってことです。つまり合意の有無は考慮に値しないということです。大人でさえ怪しいのに特に子供は精神の成長が半端なわけですから、考慮に値しないと考えるのは当然のことと思います。教師の立場を利用して子供を伴侶にするようなことをすれば、多数の子供は一般的にそれを嫌がることになると考えられますが、嫌がるかどうかという思考にまで影響を及ぼして喜ぶように変化させてしまうのであれば、それは後々に事情聴取すれば合意があってそうしているのだって子供が答えるようになるわけですから、嫌だったけど伴侶になったという答えが得られないということです。そこで「それならそれでいいじゃないか」と思う人もいると思いますが、そこで問題なのが生殺与奪を握る立場ですよ。そうなると最初の話に戻りますが。テロリストに対して人質が友好的な態度になってしまうようなこともあるわけです。これは健全な精神の変化だと言えるでしょうか?俺は言えないと思います。ここが最大の問題だと俺は思ってるわけです。多かれ少なかれ人間関係には相手を染めるということがあると思います。ですが成長途上の子供に対して、生殺与奪を握るような立場で染める行為というのは、自分の伴侶を作るなどの私的な目的で用いるのは悪質だと思います。先生が生徒を多少は染めることはあるでしょう。だけどそれを伴侶を作るために転用してはならないし、万が一そういった事件があっても、それだけの力がある立場であれば責任を自覚して一歩引くべきである、俺はそう考えます。なので教師は教師以外の人達と比べて、ロリコン的に厳しく罰する必要があると俺は考えているのです。でも現状はロリコン的に教師は教師以外よりも優遇されてしまっている。これは異常だと思います。これは未来の日本を担う子供達の教育現場にロリコンを集めることになるわけで愚かな政策と考えています。