civ4bts v3.19難易度皇帝ターン354紀元1934年パンゲア標準スコア38262スコア5177チャーチル文化勝利

正式な勝利の 3 度目です。これぐらい勝つと安定感がありますね。ちょっと飽きてきました。世界のど真ん中からスタートして北にモンテスマ、西にラグナル、東にインド、南にリンカーン、南西にフリードリッヒ、インドの東に始皇帝という状況でした。生産都市が首都になるようにリセマラしてたので、まずはヒンズーを創始したモンテスマを速攻することにして、鉄や銅がでなかったらリセットするつもりでした。見事に銅が出たので、首都を含めて自都市の建設は 2 つで止めてモンテスマを攻めて、首都のテノチティトランとその手前にあった都市を占領。ヒンズー教の聖都を手に入れました、ただし建築されてませんでしたが。和平を結び次は東のインドを攻めることにしました。カタパルトを用意してガンジーに宣戦し、首都のデリー手前の都市を滅ぼし、首都デリーを占領し、その周辺の 3 都市を占領して降伏させました。その間に相互通行条約を結んでいたリンカーンがモンテスマに宣戦布告しました。更にラグナルが俺に宣戦布告してきましたし、フリードリッヒがラグナルに宣戦布告しました。宗教的にはモンテスマがヒンズーで俺が無宗教でフリードリッヒがユダヤでその他は仏教でした。ラグナルの軽めの進行は無事に防ぎました。ガンジーを降伏させた頃には仏教に改宗しました。ガンジーは仏教聖都を建ててたり空中庭園ストーンヘンジもゼウス像も建ててたので非常に助かりました。儒教聖都も建築なしで手に入った。そして社会制度は主従制と神権政治にして、軍拡してました。リンカーンにモンテスマを攻め落とされると厄介なのでモンテスマに宣戦布告して介入し、結果としてリンカーンは 2 つを攻め落としてしまいましたが最後の 1 つは俺が攻め落としました。そこでモンテスマ滅亡。その後はしばらく内政と軍拡をしていたら、十分に軍備を整えたラグナルが 2 回ほど進行してきて、2 回目は始皇帝が便乗参戦か何かで宣戦してきました。なのでガンジー領土には守護するためにマスケット兵や長弓兵を派遣し、西にもマスケット兵や長弓兵を駐屯させて防衛。2 回目の防衛ではライフリングまで手に入れてこれを撃退しました。その後は内政と軍拡を只管に行い、歩兵が手に入ったところでラグナルに反転攻勢の宣戦布告。本当はラグナルの進行を撃退した時点で徹底的に攻めるつもりでしたが、1 つ都市を落としたところでバチカンが余計なことをして終息してしまってました。俺がラグナルに宣戦布告して 1 ターン後にバチカンが余計なことを再びやりましたが、拒否権を発動して強引に進行しました。技術的な優位があったので強引に押し込み、被害も大きかったですが首都を含む 3 都市を落として降伏させました。前に手に入れた都市と合わせて 4 つです。更に和平交渉の時に 1 都市を譲り受けましたので全部で 5 都市を奪ったことになります。後は戦争の最中だったかアメリカから 2 都市ほど文化転向させています。そこで盤面を見て熟考しました。技術的にはフリードリッヒ、始皇帝リンカーンの 3 者に劣っている。スコアや領土や軍事力では現状では勝っている。このまま軍事力で征服勝利を狙うか、はたまた文化勝利を狙うか。宇宙開発競争という選択肢はない。技術力的に難しい。クリエイティブ建設を既に建てていて、偉大な芸術家のストックもある。シヴィライズドジュエリーやシド寿司は未だ残っている。首都のロンドンの文化は 25,000 ぐらい。2 番目はデリーの 15,000 ぐらい。3 番目はテノチティトランの 5000 ぐらい。悩んだ末に文化勝利を狙うことにしました。この時が 1870 年。テノチティトランはウォール街と製鉄所を建てたので、文化 4500 ぐらいのテオティワカンで勝負することにしました。世界遺産も偉人定住も無しでしたが。ここにエルミタージュとグローブ座を建てました。ラグナルとの戦勝中に偉人を消費して黄金期に入ってて警察国家にしてたんですが、マウソロスを建ててたので 12 ターンの黄金期の中で再度の社会制度変更を行い、普通選挙表現の自由奴隷解放、自由市場、宗教の組織化にしました。後はひたすらに宗教を広めて、テオティワカンに重点的に聖堂を建てて、企業も無事にシド寿司とシヴィライズドジュエリーを建てられたので、十分に企業を広めて金策などしながら金を貯めて、最終的には文化振りマックスでテオティワカンの文化は毎ターン 1500 超になって無事に文化勝利でした。企業 3 社だけで文化 90 出てましたから。それに文化 100 % 振りと文化生産と芸術家の配置と 550 % アップで 1500 超です。ガンジー領土から仏教と儒教キリスト教が出て、モンテスマからヒンズー、ラグナルからユダヤでした。後はアメリカから文化転向した都市に道教がありました。自分で建てた世界遺産は首都にシスティナ礼拝堂とマウソロス霊廟とシャダゴンパヤで、テノチティトランにアレクサンドリア図書館でした。デリーには何も建てませんでしたが偉大な芸術家を 2 人ほど置いてます。ウォール街を置くつもりでしたが、うっかり紫禁城とオックスフォードを建ててしまったので、ウォール街ヒンズー教の聖都のテノチティトランに予定変更しました。無事にヒンズー教の聖都と儒教の聖都を建てることができてます。ああ聖都も世界遺産か。そう考えると企業の 3 社も世界遺産ですね。企業の本社はもちろんウォール街のあるテノチティトランです。テノチティトランの金銭収入基礎は 0 % 振りで 324 あり、ウォール街証券取引所など合わせると 1,000 超でインフレ相殺とまでは行かないものの財政を支えていました。首都ロンドンは英雄叙事詩とウエストポイントを置き、士官学校もあり軍事教官 4 人がいましたが、ウエストポイントや士官学校が完成したころには戦争とは無縁になっていました。